まさか水源地から貯水池に、
二日掛けて走る事になるとは・・・・・・・
満々と水を湛える諏訪湖から、
佐久間湖までトータルで500kmを超えた。
物凄く古い時代を連想させる隧道を抜けると、
この先は飯田市に繋がるので、
本来ならばこちらから来る方が近い。
ところがこのルートはとんでもない山道で、
しかも土砂崩れのまま復旧の見通しが立っていない。
不気味な静けさの中、
堤体から舌を覗き込むと股間が縮みあがった。
メチャクチャ高い。
堤体の高さは150mを優に超える。
その強烈な放流エネルギーを吸収するための副ダムが前方に見えた。
降った後など豪快に放流するのだろう。
堤体に取り付けられた銘板には、
当時の苦労を物語る文字の羅列がある。
佐久間発電所の巨大なタービンを回す。
ジジジ、ビビと電線から音が出るだけでなく、
体全体に電磁波を感じて何か勢いが出たような錯覚を覚えた。
第二次世界大戦が終わったのは昭和20年の8月15日だが、
実は本当の意味で終戦を迎えたのはもっと後だ。
隣の国もアメリカともめて、
戦争に近い状態になりかけたが今一歩のところで踏みとどまった。
だから終戦処理には時間がかかる。
一筋縄でいくはずがない。
昭和20年にポツダム宣言を受け入れ全面降伏した日本は、
昭和27年4月28日にサンフランシスコ平和条約を締結するまで、
アメリカの占領下に置かれていた事を忘れてはいけない。
その7年間にわたる独立国としての尊厳を削がれた状況の中で、
日本人は再び復活する日を夢見ながら爪を研いだ。
そしていよいよ日本が国としての主権を取り戻した時に、
電源開発という会社が誕生した。
ここでは35万キロワットの電力を、
東京電力と中部電力に販売している。
本格的に工事が始まったのは昭和29年なので、
それまでに要した年月は9年ほどだ。
日本が焦土化して9年でここまで立ち直った。
その9年をそのまま現代にスライドすると、
果たして何が見えるのか。
プールに行く時間が来た。
きょうはここまで。
質問あればお気軽にどうぞ。