やけに水が澱んでいた。 ドイツから戻り、木曽の桟に行って来た。
勘違いするといけないので、
念のために説明したい。
この赤い橋は後からできたものだ。
だから「木曽の桟」ではない。
橋を渡った右岸には、
「桟温泉」と言う旅館がある。
昔から続く温泉だが、
まだ入ったことは一度も無い。
と言うのも、
国道19号線に面して騒々しかった。
なので今のように秘湯感は無く、
あえて寄ろうという気にならなかった。
そこが大きく変わった。
赤い橋も塗り替えられ、
コンクリートで周辺もしっかり養生された。
以前なら左岸の国道を、
物凄い量のトラックが往来した。
今のひっそりとした様子は、
当時想像すらできなかった。
温泉の価値も高くなったに違いない。
昔から、
「赤いかけはし」を見て、
「何を大げさに」と思っていた。
文化財と言うにはほど遠い。
不思議に思うのは当たり前だった。
その重要な文化財は、
右岸の温泉側からしか見えない。
橋の上から、
以前の国道を見た画像だ。
黄色く線で囲った部分が、
「木曽の桟」の基礎だ。
ここはとんでもない難所だつた。
大昔からとても苦労して人びとが通っていたようだ。
そこが江戸時代に中仙道となる。
こうして五街道として、
尾張藩による整備が始まった。
その時、
この現存している石垣が作られた。
石垣が出来る前は、
断崖絶壁に杭を刺し、
その上に板を引きならべて難所を渡った。
それを「桟道」と言うそうだ。
ここは、
かつては日本三奇橋と言われた、
「木曽の桟」の名残なのだ。
木造の桟は明治時代と共に消失した。
鉄道が誕生し、
この上に線路が出来た。
きっと工事の妨げになったのだろう。
今は鉄骨の柱が出来て、
その上が橋になっている。
だから桟は事実上存在しない。
そのしっかりしたはずの国道で、
大事件が起きた。
平成の歴史は消費税の歴史だ。
二度目の増税は、
フォレスターが誕生した平成9年だ。
その年の秋、
この左方向に直径3mもある岩が落ちてきた。
奇跡的に人災にならなかった。
その時人びとは、
改めてここが酷い難所なのだと思い知った。
川の中を見ればわかる。
巨石はいつどこから来たのか。
国道19号線は、
あちこちに崩落する危険な場所を持つ。
ところが川に沿って歩けるので、
桟は必要でも、
大きな橋を架ける必要が無い。
だから徳川幕府は伊那谷ではなく、
木曽谷を五街道の一つとして整備したのだろう。
伊那谷には、
駒ヶ岳から流れ落ちる川が何本もあるし、
諏訪湖から天竜川も下っている。
その災害では復旧に丸二日かかった。
もし人が巻き込まれたら、
通行止めだけでは済まない。
早速行政が動き、
桟改良と言う大事業が平成11年から始まった。
4つの橋と1つのトンネルで、
特に上松側のアーチ橋の工事は、
特に長い時間をかけ橋が徐々に出来上がった。
木曽の桟の前後は、
気温も低い場所でとても危ない場所だった。
その難所だった木曽福島から上松の間に、
これで一切危ない場所が無くなった。
そこをXVで走り開田高原に抜け、
ニュル近郊を想定した走行シーンを再現した。
A3のディーゼルよりかなり良いと思った。
その後、
東京出張に当たり、
BRZを使おうとして最後まで迷った。
高速道路を走るなら、
この方が面白いに決まっている。
出発の間際になって、
やっぱりXVを使うことにした。
高速性能を比較しないとアンフェアだ。
そろそろ馴染んできた頃だから、
本来の性能が味わえるだろう。
ここで一発本気で試そうと思う。
メーターをリセットし、
高速道路に乗った。
溜まった仕事を片付けていたら、
真っ暗になってきた。
クルマだと時間が有効に使える。
気分良く走れた。
欲を言えば、
もう少し高級なダンパーが欲しい。
でも最新型で、
そかもこの価格から見たら、
常識外れに良いモノが付いている。
宿泊地に着いた。
大体ガソリンが空になるよう計算して来る。
ここで給油する理由は簡単だ。
湾岸沿いはガソリンが安い。
ここまでの印象は、
まず、
かなり硬さが取れたなと感じた事かな。
次に、
相当な勢いで走ったにも関わらず、
かなり燃費が良い。
ただし、
さすがにディーゼルの6速マニュアルには敵わない。
でも「普通」に走ったら、
多分17キロぐらい1リッターで走る気がした。
人間にも給油が必要になった。
先月、
この店で不良老人と盃を交わしたが、
今月その姿は無かった。
不良老人に会わなくて、
深酒にならなかった。
先月この後通風発作が起きて、
一か月以上も苦しさを味わっている。
なので腹八分目と思った。
が、
ここは外国ではない。
自分に甘く優しい時間が欲しい。
酒はここで止めて、
魚を食べる。
この店は一切自分で仕込むので、
物凄く味が良い。
さんまも美味しかった。
確かにまだ痩せてるけどね。
麺で締めたいところを、
天ぷらで締めた。
XVの味はまさしく和のテイストだ。
カラダに優しくてホッとする、
なじめのあじで、
かつまた手作りの味に近い。
丁寧で繊細な作り込みながら、
その価格は極めてお値打ちだ。
帰りも楽しみになった。
それでは皆さん、
オヤスミナサイ。
勘違いするといけないので、
念のために説明したい。
だから「木曽の桟」ではない。
橋を渡った右岸には、
「桟温泉」と言う旅館がある。
昔から続く温泉だが、
まだ入ったことは一度も無い。
と言うのも、
国道19号線に面して騒々しかった。
なので今のように秘湯感は無く、
あえて寄ろうという気にならなかった。
そこが大きく変わった。
赤い橋も塗り替えられ、
コンクリートで周辺もしっかり養生された。
物凄い量のトラックが往来した。
今のひっそりとした様子は、
当時想像すらできなかった。
温泉の価値も高くなったに違いない。
昔から、
「赤いかけはし」を見て、
「何を大げさに」と思っていた。
文化財と言うにはほど遠い。
不思議に思うのは当たり前だった。
その重要な文化財は、
右岸の温泉側からしか見えない。
以前の国道を見た画像だ。
黄色く線で囲った部分が、
「木曽の桟」の基礎だ。
ここはとんでもない難所だつた。
大昔からとても苦労して人びとが通っていたようだ。
そこが江戸時代に中仙道となる。
こうして五街道として、
尾張藩による整備が始まった。
その時、
この現存している石垣が作られた。
石垣が出来る前は、
断崖絶壁に杭を刺し、
その上に板を引きならべて難所を渡った。
それを「桟道」と言うそうだ。
ここは、
かつては日本三奇橋と言われた、
「木曽の桟」の名残なのだ。
木造の桟は明治時代と共に消失した。
鉄道が誕生し、
この上に線路が出来た。
きっと工事の妨げになったのだろう。
今は鉄骨の柱が出来て、
その上が橋になっている。
だから桟は事実上存在しない。
そのしっかりしたはずの国道で、
大事件が起きた。
平成の歴史は消費税の歴史だ。
二度目の増税は、
フォレスターが誕生した平成9年だ。
その年の秋、
この左方向に直径3mもある岩が落ちてきた。
奇跡的に人災にならなかった。
その時人びとは、
改めてここが酷い難所なのだと思い知った。
川の中を見ればわかる。
巨石はいつどこから来たのか。
国道19号線は、
あちこちに崩落する危険な場所を持つ。
ところが川に沿って歩けるので、
桟は必要でも、
大きな橋を架ける必要が無い。
だから徳川幕府は伊那谷ではなく、
木曽谷を五街道の一つとして整備したのだろう。
伊那谷には、
駒ヶ岳から流れ落ちる川が何本もあるし、
諏訪湖から天竜川も下っている。
その災害では復旧に丸二日かかった。
もし人が巻き込まれたら、
通行止めだけでは済まない。
早速行政が動き、
桟改良と言う大事業が平成11年から始まった。
4つの橋と1つのトンネルで、
特に上松側のアーチ橋の工事は、
特に長い時間をかけ橋が徐々に出来上がった。
木曽の桟の前後は、
気温も低い場所でとても危ない場所だった。
その難所だった木曽福島から上松の間に、
これで一切危ない場所が無くなった。
そこをXVで走り開田高原に抜け、
ニュル近郊を想定した走行シーンを再現した。
A3のディーゼルよりかなり良いと思った。
その後、
東京出張に当たり、
BRZを使おうとして最後まで迷った。
この方が面白いに決まっている。
出発の間際になって、
やっぱりXVを使うことにした。
そろそろ馴染んできた頃だから、
本来の性能が味わえるだろう。
ここで一発本気で試そうと思う。
メーターをリセットし、
高速道路に乗った。
溜まった仕事を片付けていたら、
真っ暗になってきた。
クルマだと時間が有効に使える。
気分良く走れた。
欲を言えば、
もう少し高級なダンパーが欲しい。
でも最新型で、
そかもこの価格から見たら、
常識外れに良いモノが付いている。
宿泊地に着いた。
大体ガソリンが空になるよう計算して来る。
ここで給油する理由は簡単だ。
湾岸沿いはガソリンが安い。
ここまでの印象は、
まず、
かなり硬さが取れたなと感じた事かな。
次に、
相当な勢いで走ったにも関わらず、
かなり燃費が良い。
ただし、
さすがにディーゼルの6速マニュアルには敵わない。
でも「普通」に走ったら、
多分17キロぐらい1リッターで走る気がした。
人間にも給油が必要になった。
先月、
この店で不良老人と盃を交わしたが、
今月その姿は無かった。
不良老人に会わなくて、
深酒にならなかった。
先月この後通風発作が起きて、
一か月以上も苦しさを味わっている。
なので腹八分目と思った。
が、
ここは外国ではない。
自分に甘く優しい時間が欲しい。
酒はここで止めて、
魚を食べる。
この店は一切自分で仕込むので、
物凄く味が良い。
さんまも美味しかった。
確かにまだ痩せてるけどね。
麺で締めたいところを、
天ぷらで締めた。
XVの味はまさしく和のテイストだ。
カラダに優しくてホッとする、
なじめのあじで、
かつまた手作りの味に近い。
丁寧で繊細な作り込みながら、
その価格は極めてお値打ちだ。
帰りも楽しみになった。
それでは皆さん、
オヤスミナサイ。