奇麗な夕日だった。 この飛行機がなぜDNA研修の場を見ていたのだろうか。
何か言いようのない運命を感じた一日だった。日本全国でDNA研修を受けたスバルチームの勇士達よ。
良い研修で文句は無いだろう。だがその内容は、半分以上がオブラートにくるまれていた。
だから真実を決して勇猛に語ろうとはしていない。
理由は簡単だ。今のスバルブランドが砂上の楼閣に過ぎないからだ。
着飾るブランドは、脆くも崩れ落ちるだろう。
不似合いな贈り物をもらった。人生初のフルーツ盛り合わせだった。 喰えば確かに旨い。しかし価格で安心感を求めているだけで凄味が無い。 「高級フルーツ」という、千疋屋や資生堂パーラーを連想する甘い名前も悪くない。ただ食べてしまえばそれだけの事。実に脆くも崩れやすい脆弱な食物だ。この詰め合わせから、最近のスバルのラインナップに共通する美味しさを感じた。今は甘くて美味しい商品が揃っているが、その先はどうなるのだろうか。
ポルシェがいよいよ4気筒エンジンに降りてくる。
BRZ登場時にイギリスの自動車専門誌がポルシェと比較をしたらしい。かなりの高評価に、スポーツカー専門メーカーのポルシェがいきり立ち、本気になったという。そんな嘘か誠か俄には信じられない話を耳にした事がある。
それは噂では無かった。12月9日にポルシェは次期型ボクスターとケイマンに、「718」のコードネームを採用すると発表した。
ポルシェ伝説のスポーツカーに「550」がある。 この550スパイダーは1954年に作られている。1.5リットルで110馬力を発生し、時速220kmまで出すことが出来た。
さらにパワーアップを続け、 二年後には「A」がデビューした。
エンジン出力は25馬力引き上げられ、最高速度は20km/hアップし240km/hになった。
伝説のポルシェ550スパイダーの後を引き継ぐ形で、718が誕生し数々のレースで栄冠を手にした。 このレーシングカーの718にも、水平対向4気筒エンジンを搭載。 550に比べ遙かに近代的で、最終的に水平対向8気筒エンジンが搭載され、 ヨーロッパのレースを席捲した。
次期ボクスターとケイマンには、水平対向4気筒エンジンが与えられ、この伝統の名を堂々と名乗る。
スバルは決してのうのうとしていた訳ではなかろうが、大いなる油断も多々あった。
例えばスーパーGTだ。この祭りは無意味では無いが、今のところ自動車の開発に全く役立っていない。
マグロ解体ショーが良い例だろう。一流の腕を磨くための場では無く、客を喜ばせるエンターテイメントのために存在する。
見栄えは大切だが、性能を最優先課題に置くことは無い。そんな役に立たない競いの場に出続けても、
STIが強くならない理由がそこにある。
横たわったマグロに戦闘能力など無い。
スバルの神髄は戦闘力にある。その源流はポルシェが尻尾を巻いて逃げ出す程だ。
所詮ポルシェはヒトラーの秘蔵っ子。ブランド戦略が大成功し確固たる地位を築いた。
だが単なるデザイン事務所から、スポーツカー「ポルシェ」を世に産み出した。ポルシェの創立は昭和5年に遡る。その前年の12月、中島飛行機は完全自主開発の発動機設計に着手し、昭和5年6月、国産第一号の450馬力戦闘機用発動機を完成させた。
それが空冷星形9気筒の「寿(ことぶき)」だ。その後、中島飛行機は戦闘機用発動機の優れた開発メーカーとして発展し、「戦闘機王国中島」の名を世界に轟かせた。 遂に最後の時が来た。世界の名機カレンダーは2016年版で幕を閉じる。スバルの方針に逆らい続け、このカレンダーを主力に置いてきた。
どうしても寂しさを隠せないが、最後の表紙に「疾風」を置き、有終の美を飾った。
この事をどうしても見逃すことが出来なかった。大正14年以降、寿に始まった航空機用の発動機は、「栄」や「誉」など実勢配備だけに留まらず、2列星形18気筒で2500馬力をめざした「ハ117」や、4列星形36気筒で5000馬力を目指した「ハ54-01」、また倒立空冷V型、及びW型発動機の研究開発も進めた。さらにターボジェットの「ネ-10」「ネー230」の開発にも心血を注いだ。それが戦後初の国産ジェットエンジンの完成に結びつき、昭和32年12月、国産ジェット機「T-1」の完成で実を結んだ。
中島が発動機製造に乗り出した大正14年は、西暦1925年に当たる。
その年はイタリアでムッソリーニが独裁宣言し、ナチスドイツも再建される。
世界中が焦臭くなっていく頃だった。
そもそも中島知久平は、なぜ恵まれた軍人の座を捨てたのか。
彼は大正3年に国の命令でフランスに出張した。焦臭くなっていく欧州列強の様子を目の辺りにして、もし国家間の信頼関係が破綻した時、なにが起こるかを悟った。
そして日本の国策を大艦巨砲主義から、航空兵力の増強へと舵取りを進言した。
機が熟すと彼はスッパリと軍を退役し、飛行機の開発と生産に専念することとなる。
壮大なベンチャー精神だ。彼の凄いところは、今のベンチャーのように私利私欲では無く、日本国民の将来を危惧しての決断だった。
戦争は決して二度と起こしてはならぬモノだが、丸腰で搾取を繰り返されたアフリカ大陸が、現在どのような状態にあるのかを知ると、国防の重要さは痛いほど解る。
これが世界最優秀戦闘機として名を馳せた、四式戦闘機「疾風」(コードネーム:キ84)だ。
これは殺人兵器だ。しかし裏を返すと国民を敵から守る重要な武器でもある。
戦争は嫌いだ。起きて欲しくは無い。
地球上に戦争が一つも無くなって欲しい。戦闘機では無く「救助隊」として、最新の技術が生きると素晴らしい。
くにゃオールさんから大好きなサンダーバード2号を戴いた。2号が好きな理由は、並外れた運動能力だ。
十分なペイロードを持ち、速度も速く、危険回避能力も高い。 カタパルトのような発射台から、物理の法則を無視して飛び上がる姿が、オシッコを漏らしそうになるほど好きだ。
これは軍事技術の平和転用をコドモに解り易く教えた名作だ。1号と3号は機動力があるけれど、イマイチ好きになれず、4号やジェットモグラに身もだえする。
空の世界の好きなコドモにとって、東洋一の威容を誇ったスバルのルーツに惚れ込んでいた。
そんな時、DNA研修があるとセントレアに誘われた。驚いたことに会場のすぐ脇で、まるで待つかのようににボーイング787が鎮座していた。
この機体の中央翼は富士重工の半田にある工場で作られている。
飛行機の胴体に左右の翼を差し込んでいると思ったら大間違いだ。
翼の上で飛行した人なら解るだろう。気流が乱れると、主翼は激しく上下に揺れる。
差し込んであったら外れてしまうが、飛行機にそんなことは絶対起きない。
徹底的な軍事技術の応用は、素晴らしい民生技術に繋がる。
胴体の真下にある中央翼は左右の翼をつなぎ止め、前後の曲げ荷重もおおきくかかる。
しかも主脚を納める大きな開口部が近くにある。
787は機体のほとんどを炭素繊維強化プラスチックが占める。重要な部分を新素材で作る仕事を、富士重工は任されている。
戦争を美化するのでは無く、不幸な過去の時代にどんな仕事を成し得たのか、オブラートに包んではいけない。最近、歯の浮くようなきれい事を並べるヤツが多い。自分がどれだけ聖人君子か知らないが、匿名で言いたいことを言う。
スバルはブランドを整えてきた。だから小綺麗なままで居たいのだろう。しかし最近は高級フルーツのように小綺麗で、本当のスバルの姿を覆い隠そうとしている。
「群馬の田舎者が国を憂いながら、泥臭く殺人兵器を造り続けてきた!」こう胸を張れるようで無ければホンモノじゃ無い。きれい事だけでは真実は見えない。
きれい事を言わない奴らがやって来た。当初の予定ではスバルを取材する気など無かった。 ところが本国から「青い稲妻を捕捉せよ」と密命が下ったらしい。彼等はドイツで取材し、そのまま日本にやって来た。 簡単に青いクルマと言われても、そう簡単に見つからない。
とても困ったようだったので、一肌脱いだ。ジェームス メイをご存じだろうか。
なかなか活きの良いチャーミングな男だった。詳しくは言えないが、この最も戦闘力のある大衆車を取材せずに、本国へ帰れなかったのだろう。
ディレクターのトムは、例えトヨタだろうが特定のメーカーを賞讃出来ないと言った。
そうじゃ無いので「一言お願いしたい」メッセージを頼んだ。「中津スバルのスタッフに一言欲しいと」
すると彼等は特別にメッセージをくれた。素晴らしい人達だった。良い番組が作れるはずだ。
つづく
何か言いようのない運命を感じた一日だった。日本全国でDNA研修を受けたスバルチームの勇士達よ。
良い研修で文句は無いだろう。だがその内容は、半分以上がオブラートにくるまれていた。
だから真実を決して勇猛に語ろうとはしていない。
理由は簡単だ。今のスバルブランドが砂上の楼閣に過ぎないからだ。
着飾るブランドは、脆くも崩れ落ちるだろう。
不似合いな贈り物をもらった。人生初のフルーツ盛り合わせだった。
ポルシェがいよいよ4気筒エンジンに降りてくる。
BRZ登場時にイギリスの自動車専門誌がポルシェと比較をしたらしい。かなりの高評価に、スポーツカー専門メーカーのポルシェがいきり立ち、本気になったという。そんな嘘か誠か俄には信じられない話を耳にした事がある。
それは噂では無かった。12月9日にポルシェは次期型ボクスターとケイマンに、「718」のコードネームを採用すると発表した。
ポルシェ伝説のスポーツカーに「550」がある。
次期ボクスターとケイマンには、水平対向4気筒エンジンが与えられ、この伝統の名を堂々と名乗る。
スバルは決してのうのうとしていた訳ではなかろうが、大いなる油断も多々あった。
例えばスーパーGTだ。この祭りは無意味では無いが、今のところ自動車の開発に全く役立っていない。
マグロ解体ショーが良い例だろう。一流の腕を磨くための場では無く、客を喜ばせるエンターテイメントのために存在する。
見栄えは大切だが、性能を最優先課題に置くことは無い。そんな役に立たない競いの場に出続けても、
STIが強くならない理由がそこにある。
横たわったマグロに戦闘能力など無い。
スバルの神髄は戦闘力にある。その源流はポルシェが尻尾を巻いて逃げ出す程だ。
所詮ポルシェはヒトラーの秘蔵っ子。ブランド戦略が大成功し確固たる地位を築いた。
だが単なるデザイン事務所から、スポーツカー「ポルシェ」を世に産み出した。ポルシェの創立は昭和5年に遡る。その前年の12月、中島飛行機は完全自主開発の発動機設計に着手し、昭和5年6月、国産第一号の450馬力戦闘機用発動機を完成させた。
それが空冷星形9気筒の「寿(ことぶき)」だ。その後、中島飛行機は戦闘機用発動機の優れた開発メーカーとして発展し、「戦闘機王国中島」の名を世界に轟かせた。
どうしても寂しさを隠せないが、最後の表紙に「疾風」を置き、有終の美を飾った。
この事をどうしても見逃すことが出来なかった。大正14年以降、寿に始まった航空機用の発動機は、「栄」や「誉」など実勢配備だけに留まらず、2列星形18気筒で2500馬力をめざした「ハ117」や、4列星形36気筒で5000馬力を目指した「ハ54-01」、また倒立空冷V型、及びW型発動機の研究開発も進めた。さらにターボジェットの「ネ-10」「ネー230」の開発にも心血を注いだ。それが戦後初の国産ジェットエンジンの完成に結びつき、昭和32年12月、国産ジェット機「T-1」の完成で実を結んだ。
中島が発動機製造に乗り出した大正14年は、西暦1925年に当たる。
その年はイタリアでムッソリーニが独裁宣言し、ナチスドイツも再建される。
世界中が焦臭くなっていく頃だった。
そもそも中島知久平は、なぜ恵まれた軍人の座を捨てたのか。
彼は大正3年に国の命令でフランスに出張した。焦臭くなっていく欧州列強の様子を目の辺りにして、もし国家間の信頼関係が破綻した時、なにが起こるかを悟った。
そして日本の国策を大艦巨砲主義から、航空兵力の増強へと舵取りを進言した。
機が熟すと彼はスッパリと軍を退役し、飛行機の開発と生産に専念することとなる。
壮大なベンチャー精神だ。彼の凄いところは、今のベンチャーのように私利私欲では無く、日本国民の将来を危惧しての決断だった。
戦争は決して二度と起こしてはならぬモノだが、丸腰で搾取を繰り返されたアフリカ大陸が、現在どのような状態にあるのかを知ると、国防の重要さは痛いほど解る。
これは殺人兵器だ。しかし裏を返すと国民を敵から守る重要な武器でもある。
戦争は嫌いだ。起きて欲しくは無い。
地球上に戦争が一つも無くなって欲しい。戦闘機では無く「救助隊」として、最新の技術が生きると素晴らしい。
くにゃオールさんから大好きなサンダーバード2号を戴いた。2号が好きな理由は、並外れた運動能力だ。
十分なペイロードを持ち、速度も速く、危険回避能力も高い。
これは軍事技術の平和転用をコドモに解り易く教えた名作だ。1号と3号は機動力があるけれど、イマイチ好きになれず、4号やジェットモグラに身もだえする。
空の世界の好きなコドモにとって、東洋一の威容を誇ったスバルのルーツに惚れ込んでいた。
この機体の中央翼は富士重工の半田にある工場で作られている。
飛行機の胴体に左右の翼を差し込んでいると思ったら大間違いだ。
翼の上で飛行した人なら解るだろう。気流が乱れると、主翼は激しく上下に揺れる。
差し込んであったら外れてしまうが、飛行機にそんなことは絶対起きない。
徹底的な軍事技術の応用は、素晴らしい民生技術に繋がる。
胴体の真下にある中央翼は左右の翼をつなぎ止め、前後の曲げ荷重もおおきくかかる。
しかも主脚を納める大きな開口部が近くにある。
787は機体のほとんどを炭素繊維強化プラスチックが占める。重要な部分を新素材で作る仕事を、富士重工は任されている。
戦争を美化するのでは無く、不幸な過去の時代にどんな仕事を成し得たのか、オブラートに包んではいけない。最近、歯の浮くようなきれい事を並べるヤツが多い。自分がどれだけ聖人君子か知らないが、匿名で言いたいことを言う。
スバルはブランドを整えてきた。だから小綺麗なままで居たいのだろう。しかし最近は高級フルーツのように小綺麗で、本当のスバルの姿を覆い隠そうとしている。
「群馬の田舎者が国を憂いながら、泥臭く殺人兵器を造り続けてきた!」こう胸を張れるようで無ければホンモノじゃ無い。きれい事だけでは真実は見えない。
きれい事を言わない奴らがやって来た。当初の予定ではスバルを取材する気など無かった。
とても困ったようだったので、一肌脱いだ。ジェームス メイをご存じだろうか。
なかなか活きの良いチャーミングな男だった。詳しくは言えないが、この最も戦闘力のある大衆車を取材せずに、本国へ帰れなかったのだろう。
ディレクターのトムは、例えトヨタだろうが特定のメーカーを賞讃出来ないと言った。
そうじゃ無いので「一言お願いしたい」メッセージを頼んだ。「中津スバルのスタッフに一言欲しいと」
すると彼等は特別にメッセージをくれた。素晴らしい人達だった。良い番組が作れるはずだ。
つづく