先日のスバルファンミーティングで、
1/1クレイモデルが公開されたが、その実物と言えるXVコンセプトはジュネーブでお披露目された。 アンベールに先立ち、日月さんがプレゼンテーションした後、 いよいよクライマックスを迎えた。 報道陣の注目も凄い。
ヨーロッパでは今も瞬足のXVに人気があるので、 ニューモデルに対する期待も熱い。
石井さん、おめでとうございます。 スバルデザインのルーツを辿ると、この様なユニークなクルマに繋がる。
スバルのペットマークを見て驚いた。
昭和56年頃に当社のマークをデザインした頃は、このクルマの存在を知らなかった。
だから真似した訳では無いが、今見るとA-5のスバルマークと、当社のロゴマークはそっくりだ。 今回初めて気が付いて、物凄く因縁めいたモノを感じた。
1962年に試作で終わった。
【型式】A-5【主要諸元】全長×全幅×全高(mm):3825×1496×1360車両重量(kg):不明【エンジン】空冷4サイクル水平対向4気筒OHC排気量980cc最高出力:49ps/5500rpm最大トルク:7.3kg・m)/3500rpm
初のFF車として誕生し、その当時は空力特性が良いと言われた、 クリフカットと呼ばれる欧州風のデザインを取り入れた。
サッシュレスウインドウを採用するなど、 後のスバル車を想像する構造で、リヤウインドウは電動で上下する構造だ。 最初は水平対向エンジンでは無く電気自動車として開発が始まった。
このクルマを元にして、スバル1000が誕生した。
もう語る必要も無いだろう。スバル1000のトピックスは、ダブルオフセットジョイント(DOJ)の開発に成功したことだ。
その発明のおかげでFFと言う通称も定着するほど、FWDの乗用車が主流になっていく。
乗用車としての性能だけで無く、
高効率な動力伝達システムと、軽くて高剛性なボディのおかげで、モータースポーツでも活躍し始めた。
まず国産車初のラジアルタイヤを装着した、スバル1000スポーツセダンが、
昭和43年9月に開催された、第10回日本アルペンラリーでクラス優勝、総合第5位という素晴らしい成績を残した。
翌年100ccボアアップしたこのFF-1が発売され、その俊足ぶりは日本中のクルマ好きを唸らせた。 総合第14位という成績を残したが、あくまでもプライベーターの位置付けだった。
続く昭和45年7月に、いよいよ1300Gがデビューすることになる。 ゼロヨンを16.8秒、最高速度170km/hという高性能ぶりを誇った。
この年の9月に開催された、第12回日本アルペンラリーは、スバルの本気度が全然違っていた。
初のワークスチームによるファクトリーアタックで、15日間、2100kmという苛酷なコース設定の中、参加総数102台中、クラスⅡ(1001~1300cc)で1・2・4位を占め、何と総合2位に入賞した。 完走したのは63台、完走率62%という苛酷なレースだった。
この頃からスバルはラリーに於ける並々ならぬ実力を発揮し始めた。
同時にエポックメーキングなクルマを出した。 しかも作ったのは宮城スバルという、東北の1ディーラーに所属した整備技術者だった。
高橋さんは、戦争中に戦車のメンテナンスをした人でも有り、履帯にも深い憧憬を持つ人だった。 スバルがその着眼点に注目した。 さっそく試作車を開発し、東北電力に納入した。 スバルの小型車が初めてリヤデフを持った瞬間だ。
スバル1300Gはレオーネにスイッチし、数々の成功をモータースポーツの場でも重ねる。
忘れられないのが、このAB5型RXだ。 室内のディメンションがスバルとしてのアイデンティティを示している。 こうして次のレオーネにバトンタッチされたスポーツ魂は、いよいよターボとして花が開く。
しかし、その頃はWRCを転戦するなど、夢のまた夢だった。 いよいよ55Nがデビューし、夢が現実になる。
総合優勝を狙えるクルマになったのだ。
以前も伝えたが、このクルマはWRC参戦車のテストベッドだ。
その凄味が解るだろうか。まだ未完成だが、今後を楽しみにして欲しい。動画をご覧戴きたい。
1/1クレイモデルが公開されたが、その実物と言えるXVコンセプトはジュネーブでお披露目された。
ヨーロッパでは今も瞬足のXVに人気があるので、
石井さん、おめでとうございます。
昭和56年頃に当社のマークをデザインした頃は、このクルマの存在を知らなかった。
だから真似した訳では無いが、今見るとA-5のスバルマークと、当社のロゴマークはそっくりだ。
【型式】A-5【主要諸元】全長×全幅×全高(mm):3825×1496×1360車両重量(kg):不明【エンジン】空冷4サイクル水平対向4気筒OHC排気量980cc最高出力:49ps/5500rpm最大トルク:7.3kg・m)/3500rpm
初のFF車として誕生し、その当時は空力特性が良いと言われた、
サッシュレスウインドウを採用するなど、
もう語る必要も無いだろう。スバル1000のトピックスは、ダブルオフセットジョイント(DOJ)の開発に成功したことだ。
その発明のおかげでFFと言う通称も定着するほど、FWDの乗用車が主流になっていく。
乗用車としての性能だけで無く、
高効率な動力伝達システムと、軽くて高剛性なボディのおかげで、モータースポーツでも活躍し始めた。
まず国産車初のラジアルタイヤを装着した、スバル1000スポーツセダンが、
昭和43年9月に開催された、第10回日本アルペンラリーでクラス優勝、総合第5位という素晴らしい成績を残した。
翌年100ccボアアップしたこのFF-1が発売され、その俊足ぶりは日本中のクルマ好きを唸らせた。
続く昭和45年7月に、いよいよ1300Gがデビューすることになる。
この年の9月に開催された、第12回日本アルペンラリーは、スバルの本気度が全然違っていた。
初のワークスチームによるファクトリーアタックで、15日間、2100kmという苛酷なコース設定の中、参加総数102台中、クラスⅡ(1001~1300cc)で1・2・4位を占め、何と総合2位に入賞した。
この頃からスバルはラリーに於ける並々ならぬ実力を発揮し始めた。
同時にエポックメーキングなクルマを出した。
高橋さんは、戦争中に戦車のメンテナンスをした人でも有り、履帯にも深い憧憬を持つ人だった。
スバル1300Gはレオーネにスイッチし、数々の成功をモータースポーツの場でも重ねる。
忘れられないのが、このAB5型RXだ。
しかし、その頃はWRCを転戦するなど、夢のまた夢だった。
総合優勝を狙えるクルマになったのだ。
以前も伝えたが、このクルマはWRC参戦車のテストベッドだ。
その凄味が解るだろうか。まだ未完成だが、今後を楽しみにして欲しい。動画をご覧戴きたい。