クルマには魂がある。
そう言い続けてもう何年になるだろうか。
赤鰤の整備は杉本に任せた。
初めて見た時、
このクルマからも魂を感じた。
それを否定する人が居ても一向にかまわない。
むしろ、
そんな事が解る人の方が少ないだろう。
中津スバルの社員すら、
そんな事は「また変なことを言っている」くらいにしか思っていないはずだ。
まず2001年5月、
日本で初めての国際格式ラリーが開催されたことを思い出して欲しい。
場所は群馬県の草津から嬬恋に掛けて、
オールターマックという、
まるでサンレモラリーのようなシチュエーションだった。
日本でWRCを開催する、
その執念を実らせる試金石だった。
クルマには間違いなく魂がある。
CM撮影日の朝、
このクルマを1時間かけて洗った。
かつて杉本の愛車だったGC8だ。
新車のレガシィを購入した後も、
なかなか別れることが出来ず、
自宅の庭先に温存していた。
マリオもそうだが、
独身男性の習性とでも言うのか、
離れられないが大事にしない。
日本の国歌「君が代に」に、
「苔のむすまで」というフレーズがあるが、
それを想像しほしい。
ある日小遣いが底を尽いたようだった。
買ってもらえないかと相談を受けた。
こうしてGC8は名古屋に向かう軍資金に変わった。
緑色に染まったバンパーを見ると不憫だったが、
時間が出来たら復活させようと大事にしていた。
出張先で偶然同じようなWRXを見つけた。
何かの縁を感じたので、
少し無理を仕手でも連れ帰ろうと思った。
クルマが最悪の場合でも、
杉本から譲り受けたクルマがある。
それを活かせば何とかなる。
強気の姿勢で競ることが出来た。
陸送業者を手配し会社に戻った。
そして18日早朝の「掃除の日」に、
駐車場の奥からWRXを出した。
ブースターケーブルを繋ぐと、
エンジンはすぐに嬉しそうな声を上げた。
ついでに他のクルマを整理整頓し、
苔だらけのWRXをSABの前に運んだ。
井戸水を使って洗車し、
亀の子だわしで丁寧に擦ると、
あれよあれよという間に美しさを取り戻した。
CM撮影が終わった頃、待ち焦がれていたWRXがキャリアカーで運ばれてきた。
まずバラバラに分解して掃除を始めた。
消化器を当たり前のように装備している。
フルハーネスのシートベルトは、
全て取り外した。
これはつけ置き洗いする。
初めからこのWRXに何かの「鼓動」を感じていた。
只者では無い「何か」を匂わせる。
なぜ走行距離は58000kmと少ないのか。
どうして前の持ち主は、
手に入れてから僅か半年でクルマを抹消登録し、
8年間も放置していたのか。
クルマを洗いながら変な錯覚に襲われたのも、
このクルマの持つ因縁なのかも知れない。
バッテリーに交換した日と、
その時の距離が記されていた。
8年経って目覚めさせたのか。
その理由は定かでは無いが、
逆算すると交換した日から現在までの間に、
なんと5千㎞以上走っている。
あまりにも不思議なことが多いので、
更に調べを進めると、
2012年の5月に撮影された画像を入手できた。
杉本のWRXと全く同じだ。
届いたクルマとほとんど変わらぬ様子が、
その画像に現れていた。
おそらく、
少なくとも直近の4年間は、
誰も触らず放置されて居たのだろう。
何という偶然だろう。
エンジンルームはほとんどノーマルだ。
エアコンが付いていないところが素晴らしい。
快適な脚として使うつもりはないので、
軽ければ軽い方がありがたい。
エアコンレスのエンジンは、
強烈にレスポンスが良い。
これでクルマの基幹性能に何の問題も無い事が解った。
杉本の愛したWRXから、
何一つ移植する必要も無い。
別の機会に復活させよう。
両方のクルマを蘇らせる、
強烈なモチベーションが湧き出てきた。
届いたWRXの清掃作業が始まった。
ミセス大鶴の手で、テキパキと作業が進む。
彼女の手に掛かると、愛情でクルマが艶々する。 シートも良くなった。
ヤレ感がステキなので、
出来るだけ元から付いていた部品を残したい。
内装材を外したら、
洗える物を全て洗う。
歯ブラシを使うとより効果が高い。
つけ置き洗いの後、更にスチームクリーナーで徹底的に汚れを落とす。殺菌も出来るので、後から嫌な臭いが出ることも無い。 つまり、
いつもの中古車仕上げを当たり前にやるだけの話で、
特に珍しいことをする訳では無いのだが、
彼女にとってはやり甲斐がある。
社長の嬉しそうな顔を見て、
嫌な気持ちになる社員は居ないからだ。
どんどん奇麗になって、
遂に「完了しました」と報告があった。
どうしてもこのクルマの出自を知りたくなった。
手がかりがあるから、
探れるところまで行ってみよう。
へんてこりんな妻だが、
愛嬌はある。
変な書き置きを残し、
娘と下呂温泉に行ってしまった。
活力朝礼で庭の手入れを毎朝している。
マツカレハのの食害が酷い。
今年は少し早めに観察し、
採れたての毛虫を見せた。
ねじり鎌で殴られた。
それに先日娘と二人で東京タワーに行った時、
一人で留守番させたので、
ちょっと悔しかったのだろう。
二人でイソイソと出かけていった。
丁度良いのでWRXの出自を調べに行った。
相棒は赤鰤しかない。
一週間前にこのクルマと出会った相手だ。
テストでエンジンが絶好調になり、
その後エンジンの息付は全く無い。
やはりカーボンの悪戯だった。
ただブレーキだけは納得いかない能力だった。
特に念入りにオーバーホールするように頼んだ。
前後のキャリパーを分解し、丁寧に清掃して消耗部品を交換する。左側が作業後、
右側が作業前だ。
ディスクパッドも酷かった。
右の新品に比べ左の劣化した様子がわかるはずだ。
これでは安定した制動力が出るはずがない。
組み付けようとしていたので、
サスとタイヤとローターを確認した。
ダンパーは社外品のようだ。 リヤのディスクローターは研磨する必要が無かった。
フロントのローターは、
より念入りに研磨した。
タイヤは車検に通るレベルで、
決して安心とは言えないが、
これなら晴れた日の慣らし運転に問題は無い。
次にオーナーになる人の好みでタイヤを選んでもらおう。
最高の天気で、
気温もちょうど良くドライブ日和だ。
PAEを入れ効果を感じたら、
エンジンオイルを早めに買えた方が良い。
杉本はきちんとEFAを使って、
捨てるオイルでエンジン内部を洗浄した。
奇麗に出し切って、
オイルエレメントも交換し、
レ・プレイヤードゼロをガブガブ飲ませた。
目的地に近づいた。 長閑な風景が広がる素敵な場所だ。
写真で見た風景が近づいてきた。
辿り着いた先にはプレオがあった。
やはりスバルがお好きなようだ。
もとWRXがあった場所に、
ただならぬ物が2つある。
一つはフロンテのように見えた。
そもそも、
あのWRXとフロンテが入れ替わるところが凄い。
この家に居る人は只者じゃない。
シートを被っているクルマからも、
ゾクゾクするようなオーラを感じる。
これはいったい何事だろう。
まったく知らない人のお宅に、
突然行くことに何の迷いも感じなかった。
表札を確認して、
お名前が一致したので少しホットした。
チャイムを鳴らし声を掛けると、
中から年配の男性の声がした。
「こちらは相馬さんのお宅ですか」
と尋ねWRXの事を話した。
その方はお父さんだった。
やりとりを聞いたご本人があらわれた。
相馬彰仁さんを紹介しよう。
STIの初代社長だった久世さんと、飲み歩いた仲だと仰った。
出自は独特だった。このクルマはSTIで架装された、テストベッドだった。
WRCに送る車の横で並行して制作しながら、
各手のパーツをテストするのに使ったらしい。
独特のオーラを放つ理由は、
エンジンがバランス取りされ、
特別仕様のピストンが組み込まれているからだった。
冒頭に述べた国際格式を取り入れた初の国内ラリーで、
特別な役割も担っていた。
WRCではSS毎に出走車の露払いをするクルマがある。
00カーと0カーだ。
このGC8は0カーを担ったという。
手に入れた後、
ラリーを楽しんでいたが、
訳があり手放したと仰った。
置いてあるクルマを見て、
聞かなくても理由は解った。
赤いクルマはフロンテだ。
これを持つのなら、
GC8は邪魔になる。
このフロンテを探すのはとても難しい。
RX-Rもスバルでは人気だが、
このクルマほど面白くない。
もちろん、
サブロクやR-2などもコイツを見たら霞む。
「中津スバルさんというとスバル1000などもお持ちでしたよね」
相馬さんは当社のこともご存じのようだ。
これをご覧になって下さい。
後ろにある、
なんだか凄い鼓動を感じさせるクルマのことだった。
ホイールを見て少し察したが、
やっぱりこれが居た。
美しいレモンイエローだ。
スバルにはこの様な淡い黄色が似合う。
最近はなかなか難しくて作れないが、
やはり早く復活させるべきだろう。
しかも反射防止の黒いボンネットも付いている。
驚いた。
ボンネットもフェンダーもドアも、
全てFRPで出来ている。
ドアとクオーターガラスはポリカーボネートだ。
相馬さん、恐れ入りました。
聞くまでも無かったです。
なぜフロンテなのか。
この二つのクルマは、
ほぼ同じサスペンションで、
スズキが作ったと言うだけで兄弟みたいなもんだ。
ここからも、
いずれスバルがスズキ製の軽自動車を売ることになる予感を感じたのだ。
論より証拠、
案ずるより産むが易し。
人との出会いは楽しい。
相馬さん、
これからもよろしくお願いします。
なぜWRXが中津スバルへ来たのか・・・・・
点と点が一本の線に結びついた。
有意義な一日だった。
今日は本当に有り難うございました。
そう言い続けてもう何年になるだろうか。
赤鰤の整備は杉本に任せた。
初めて見た時、
このクルマからも魂を感じた。
それを否定する人が居ても一向にかまわない。
むしろ、
そんな事が解る人の方が少ないだろう。
中津スバルの社員すら、
そんな事は「また変なことを言っている」くらいにしか思っていないはずだ。
まず2001年5月、
日本で初めての国際格式ラリーが開催されたことを思い出して欲しい。
場所は群馬県の草津から嬬恋に掛けて、
オールターマックという、
まるでサンレモラリーのようなシチュエーションだった。
日本でWRCを開催する、
その執念を実らせる試金石だった。
クルマには間違いなく魂がある。
CM撮影日の朝、
このクルマを1時間かけて洗った。
新車のレガシィを購入した後も、
なかなか別れることが出来ず、
自宅の庭先に温存していた。
マリオもそうだが、
独身男性の習性とでも言うのか、
離れられないが大事にしない。
日本の国歌「君が代に」に、
「苔のむすまで」というフレーズがあるが、
それを想像しほしい。
ある日小遣いが底を尽いたようだった。
買ってもらえないかと相談を受けた。
こうしてGC8は名古屋に向かう軍資金に変わった。
緑色に染まったバンパーを見ると不憫だったが、
時間が出来たら復活させようと大事にしていた。
出張先で偶然同じようなWRXを見つけた。
何かの縁を感じたので、
少し無理を仕手でも連れ帰ろうと思った。
クルマが最悪の場合でも、
杉本から譲り受けたクルマがある。
それを活かせば何とかなる。
強気の姿勢で競ることが出来た。
陸送業者を手配し会社に戻った。
そして18日早朝の「掃除の日」に、
駐車場の奥からWRXを出した。
ブースターケーブルを繋ぐと、
エンジンはすぐに嬉しそうな声を上げた。
ついでに他のクルマを整理整頓し、
苔だらけのWRXをSABの前に運んだ。
井戸水を使って洗車し、
亀の子だわしで丁寧に擦ると、
あれよあれよという間に美しさを取り戻した。
まずバラバラに分解して掃除を始めた。
消化器を当たり前のように装備している。
フルハーネスのシートベルトは、
全て取り外した。
これはつけ置き洗いする。
初めからこのWRXに何かの「鼓動」を感じていた。
只者では無い「何か」を匂わせる。
手に入れてから僅か半年でクルマを抹消登録し、
8年間も放置していたのか。
クルマを洗いながら変な錯覚に襲われたのも、
このクルマの持つ因縁なのかも知れない。
その時の距離が記されていた。
8年経って目覚めさせたのか。
その理由は定かでは無いが、
逆算すると交換した日から現在までの間に、
なんと5千㎞以上走っている。
あまりにも不思議なことが多いので、
更に調べを進めると、
2012年の5月に撮影された画像を入手できた。
届いたクルマとほとんど変わらぬ様子が、
その画像に現れていた。
おそらく、
少なくとも直近の4年間は、
誰も触らず放置されて居たのだろう。
何という偶然だろう。
エアコンが付いていないところが素晴らしい。
快適な脚として使うつもりはないので、
軽ければ軽い方がありがたい。
エアコンレスのエンジンは、
強烈にレスポンスが良い。
杉本の愛したWRXから、
何一つ移植する必要も無い。
別の機会に復活させよう。
両方のクルマを蘇らせる、
強烈なモチベーションが湧き出てきた。
届いたWRXの清掃作業が始まった。
彼女の手に掛かると、愛情でクルマが艶々する。
ヤレ感がステキなので、
出来るだけ元から付いていた部品を残したい。
洗える物を全て洗う。
いつもの中古車仕上げを当たり前にやるだけの話で、
特に珍しいことをする訳では無いのだが、
彼女にとってはやり甲斐がある。
嫌な気持ちになる社員は居ないからだ。
遂に「完了しました」と報告があった。
どうしてもこのクルマの出自を知りたくなった。
手がかりがあるから、
探れるところまで行ってみよう。
へんてこりんな妻だが、
愛嬌はある。
変な書き置きを残し、
娘と下呂温泉に行ってしまった。
マツカレハのの食害が酷い。
今年は少し早めに観察し、
採れたての毛虫を見せた。
ねじり鎌で殴られた。
それに先日娘と二人で東京タワーに行った時、
一人で留守番させたので、
ちょっと悔しかったのだろう。
二人でイソイソと出かけていった。
丁度良いのでWRXの出自を調べに行った。
相棒は赤鰤しかない。
一週間前にこのクルマと出会った相手だ。
テストでエンジンが絶好調になり、
その後エンジンの息付は全く無い。
やはりカーボンの悪戯だった。
ただブレーキだけは納得いかない能力だった。
特に念入りにオーバーホールするように頼んだ。
右側が作業前だ。
右の新品に比べ左の劣化した様子がわかるはずだ。
これでは安定した制動力が出るはずがない。
組み付けようとしていたので、
サスとタイヤとローターを確認した。
フロントのローターは、
より念入りに研磨した。
決して安心とは言えないが、
これなら晴れた日の慣らし運転に問題は無い。
次にオーナーになる人の好みでタイヤを選んでもらおう。
気温もちょうど良くドライブ日和だ。
PAEを入れ効果を感じたら、
エンジンオイルを早めに買えた方が良い。
捨てるオイルでエンジン内部を洗浄した。
オイルエレメントも交換し、
レ・プレイヤードゼロをガブガブ飲ませた。
やはりスバルがお好きなようだ。
もとWRXがあった場所に、
ただならぬ物が2つある。
一つはフロンテのように見えた。
そもそも、
あのWRXとフロンテが入れ替わるところが凄い。
この家に居る人は只者じゃない。
シートを被っているクルマからも、
ゾクゾクするようなオーラを感じる。
これはいったい何事だろう。
突然行くことに何の迷いも感じなかった。
表札を確認して、
お名前が一致したので少しホットした。
チャイムを鳴らし声を掛けると、
中から年配の男性の声がした。
「こちらは相馬さんのお宅ですか」
と尋ねWRXの事を話した。
その方はお父さんだった。
やりとりを聞いたご本人があらわれた。
相馬彰仁さんを紹介しよう。
STIの初代社長だった久世さんと、飲み歩いた仲だと仰った。
出自は独特だった。このクルマはSTIで架装された、テストベッドだった。
各手のパーツをテストするのに使ったらしい。
独特のオーラを放つ理由は、
エンジンがバランス取りされ、
特別仕様のピストンが組み込まれているからだった。
特別な役割も担っていた。
WRCではSS毎に出走車の露払いをするクルマがある。
00カーと0カーだ。
このGC8は0カーを担ったという。
手に入れた後、
ラリーを楽しんでいたが、
訳があり手放したと仰った。
置いてあるクルマを見て、
聞かなくても理由は解った。
赤いクルマはフロンテだ。
これを持つのなら、
GC8は邪魔になる。
このフロンテを探すのはとても難しい。
RX-Rもスバルでは人気だが、
このクルマほど面白くない。
もちろん、
サブロクやR-2などもコイツを見たら霞む。
相馬さんは当社のこともご存じのようだ。
これをご覧になって下さい。
後ろにある、
なんだか凄い鼓動を感じさせるクルマのことだった。
ホイールを見て少し察したが、
やっぱりこれが居た。
スバルにはこの様な淡い黄色が似合う。
最近はなかなか難しくて作れないが、
やはり早く復活させるべきだろう。
しかも反射防止の黒いボンネットも付いている。
ボンネットもフェンダーもドアも、
全てFRPで出来ている。
ドアとクオーターガラスはポリカーボネートだ。
相馬さん、恐れ入りました。
聞くまでも無かったです。
なぜフロンテなのか。
この二つのクルマは、
ほぼ同じサスペンションで、
スズキが作ったと言うだけで兄弟みたいなもんだ。
ここからも、
いずれスバルがスズキ製の軽自動車を売ることになる予感を感じたのだ。
論より証拠、
案ずるより産むが易し。
人との出会いは楽しい。
相馬さん、
これからもよろしくお願いします。
なぜWRXが中津スバルへ来たのか・・・・・
点と点が一本の線に結びついた。
有意義な一日だった。
今日は本当に有り難うございました。