アイスクリンと、懐かしい呼び方が郷愁感をそそる。
可愛いイラストが特徴的だ。
アイスクリンは馬車道で、ミルク抹茶はガーデンネックレス横浜と書いてある。
横浜は流石だね。
それと対照的なのがうなぎパイだ。「うなぎ」と聞けば蒲焼を連想する。そのパイの箱に、スッポンのイラストを押し込むのは如何なものか。
ちょっと無謀だと思う。
それに対して、
言葉にも昔懐かしさを覚えるから、港町ヨコハマと相性が良い。
だからアイスクリンから頬張った。稲村さん、ありがとうございました。
また、血圧の事でご心配を戴き有難うございました。
木曜日のヨガの後、いつもと調子が違っていた。
下がるには下がったが、あまり大差が無かった。
神奈川と言えば、歴史あるヨコハマを筆頭に、日本中に名を馳せている。
その名を汚すような、酷い振る舞いに目を覆った。
インプレッサWRXの相場を、悪戯に引き上げるような操作に見えた。
人心を弄ぶと罰が当たる。
稲村さんをはじめ、
神奈川には熱心なスバリストが沢山いる。
そういう人たちも怒るはずだ。
薬草と言えどもドクダミはうっとおしい。地下茎が複雑に侵入し、一旦入り込むと始末が悪い。
凄みのあるプロの世界で生き残るには、
冴えた嗅覚が必要だ。
ドクダミの様にシブトク生きなきゃならない。
しかし凛とした姿勢も重要だ。
SUBARUチームのプロ中のプロが、
まるで相場師まがいの振る舞いだ。
これには本当にあきれたね。
雨で土が緩んだ時に、
白けた地下茎がズルズルと出てくる。
真実をズルズルと引っ張り出してやろうか。
インプレッサの持つストーリーは凄いから、
絶対的な価値もある。
それは文化財的価値だが、
貨幣価値を強引に当てはめて、
人心を愚弄するとやがて破綻するはずだ。
リトナはアメリカで求められ、
急遽開発されたコンパクトセダンだ。
その当時、
秘書をしているような女性達に、
コンパクトな2ドアセダンが好まれていた。
だから各社が一斉に発売した。
そんな中、
SUBARUも2ドアセダンを急遽開発した。
それを日本国内でリトナと名付け出してはみたが、
全くと言って良いほど売れなかった。
日本国内における2ドアセダンの市場は、
とっくの昔に消滅していたからだ。
しかし幸運が巡ってきた。
WRカー規定と言うヤツだ。
WRCのトップカテゴリーに参戦するためには、
ある程度の量を作る必要があったので、
リトナベースに4WDターボを押し込んだら、
偶然すごくバランスの良いクルマが出来ちゃった。
発売当時は、
それが良く解らなかったが、
センターピラーの位置と前後重配が程良く合い、
Type-Rと呼ぶに相応しいクルマとなった。
最初はもっと簡単な張りぼての予定だった。
22Bの開発にあたり、
喧々諤々の議論があったに違いない。
四方さんも、
一度中津スバルに行きたいと仰ったようだが、
叶わぬ夢になってしまった。
お目に掛かりたかった。
残念で仕方がない。
STIは四方さんを中心にとてつもない執念を見せた。
前後フェンダーの型を興し、
プレス部品で仕上げたのだ。
WRカーのデザインはピーター・スティーブンスが担当し、
海の向こうで既に走っていた。
でもそれは競技車で、
とてもロードゴーイングカーになどなれるはずの無い、
とてもお粗末な作りだった。
それをスバルとSTIが全力で取り組み、
製造ラインからWRカーのレプリカを産み出した。
いわゆるファクトリーレベルのクオリティを備えた、
ワークスコンプリートカーだ。
それを一番喜んだのは、
WRカーを見慣れているはずの、
デビッド・ラップワースだった。
WRカーがとてもお粗末で乗り物とは言えない事を、
彼が一番よく知っていた。
だから彼は喉から手が出るほど、
WRカーのロードゴーイングバージョンが欲しかった。
確かにコンプライアンスにうるさい今の日本で、
もう二度と作れないが、
その当時はGC8改を執念で誕生させた。
どこがどのように張りぼてなのか、
まあ具体的に見ると良い。
フロントフェンダーはボルト締めだから簡単に外れる。
リヤクオーターパネルは外せない。
だからこのように分解して、
丁寧に切って取り外す。
左右のワイドパネルをろう付け溶接して固定する。
後は幅広ボディに合わせた前後バンパーと、
リヤスポイラーを付けるだけだ。
簡単だろ。
ロアアームを延長しているわけでは無いので、
トレッドの増加分はハブとホイールで辻褄を合わせる。
と言う事なので、
興味のある方はお楽しみに。