いくつになっても嬉しくて、
自重しないとあるだけ全て食べてしまう。
でもここ数年来、
味の変化を何となく感じた。
ゴディバの商標にある、
馬に跨がった貴婦人は「レディ・ゴダイヴァ」というそうで、
イギリスにまつわる伝説が元になっているようだ。
「全裸で馬に跨がり衆目の前を駆け抜けろ」と命じたらしい。
亭主はまさか本気でやるとは思わなかった。
けれども彼女は虐げられている人民のために決行した。
度胸の良い女性で、
旦那の度胆を抜いたようだ。
チョコの味が変わったと感じたのがきっかけで、
ゴディバの動向に関心を持った。
ベルギーのブランドだと思っていたら、
アメリカのキャンベルスープカンパニーの子会社だった。
なるほど。
だからアメリカに行くと空港でよく見かけたのだ。
日本で販売されている金額と、
あまりにも違うのでビックリしたこともあった。
よくお土産に買ってきた。
そのキャンベルと経営方針で相違が生じ、
今から8年ほど前にトルコ最大の食品企業に買収され、
その傘下にあるようだ。
もともと日本に於ける歴史も古く、
片岡物産による輸入が続いていた。
良くある話が、
現地法人の立ち上げだ。
有望な市場だと見抜いた瞬間に、
外資系企業は日本に資本を投入し現地法人を開設する。
昨年の3月で片岡物産は完全に手を引き、
ゴディバ・ジャパンが全ての営業権を引き継いだようだ。
「味が変わったな」と感じたのがきっかけで、
新しい情報を得ることが出来た。
魅力のあるブランドが、
その時々の勢いのある企業に、
買収したりされたりすることは珍しくない。
シャープも国内で再生するのか、
台湾の「フォンファイ」に世話になるのか、
その動向が注目されていた。
フォンファイが救済に手をさしのべる話は、
かなり前から聞いている。
フォンファイのその存在は、
多くの日本人が知らない間に随分大きくなった。
こうした逆転現象は今に始まったことではなく、
韓国との間にも、中国との間にも、
同じような話を良く聞く。
それに東南アジアの諸国との間にもあるだろう。
知的財産権の流出が、
最近国内の塗料メーカー同士でもあったようだ。
こういうことが起きた時は
まず基本的に品性を観察すると良い。
また他にも感じることがある。
まだ働きたい人や、
充分働ける人が、
好きなように働けないシステムが出来てしまったのではないか。
抜群のスキルを持っていても、
大企業の定年という枠にしばられ、
有能なのに実力を持てあます。
そういう流れのせいなのか、
同世代の会社員の言動を聞くと、
耳を疑うことがある。
かなりスキルの高い仕事に就いていると思われる人達が、
「仕事を辞めて好きなことをして暮らしたい」
とか、
「辞めたいけど子供が受験なので仕事を続けるしかない」などと、
極めて後ろ向きに「はたらく」事を捉えている。
五十代と言えば働き盛りかと思っていたが、
そういう人ばかりでもないらしい。
話は変わるが、
ドイツでは知的財産や技術資産が昔から重視され、
「徒弟制度」もしっかりと備わっているように感じる。
民族的な特質の違いもあるのだろうが、
日本にもそのような風潮があったはずだ。
日本民族の仕事観がかなり変化しているように感じる。
シャープの先端技術を、
東芝と組み合わせて守るのか、
同じアジアの企業に任せるのか、
今後の行方が決まったようだ。
シャープの味がどんな風に変わるのだろうか。
味が変わらない方が良いのか、
変わった方が良いのかも、
一概には言えない。
日本独特の農耕民族思想は、
ヨーロッパの思想とは異なる。
「助け合う精神」だから、
特許などについても考えが鷹揚だ。
最近は知的財産についてシビアだが、
スバルはそう言う事に疎かった。
スバル1000の等速ジョイントは有名な話だが、
4WDの基本構造の秘密なども、
簡単に一部の人間が書籍で公開していた。
随分味が変わった。
XVの癖のない美味しさは、
昔のスバルでは考えられないほどミルキーだ。
老若男女を問わず、
道を問わず、
国産車で最も安全なクルマを極めている。
軽自動車の味も大きく変わった。
これまでとは根本的に違うが、
そこがとても面白い。
前夜にガソリンを満タンにして、
普段トランクに入れている必須アイテムを、
全て移動してもらった。
オープンデッキを本格的に試す準備が整った。
その上に一眼レフを置いた。
緩衝材代わりに毛布を載せた。
収納スペースがある。
しかしドライバー側にはジャッキと工具が備わっている。
シートに腰を下ろした。
そこでファミリーマートに立ち寄った。
珍しい飲み物を購入した。
5種類の果汁と書いてある割に、
果汁のコクを全く感じさせない商品だ。
きっと自信が無いのだろう。
色々置きたいモノがあり、
どれをどこに置か、
場所に悩んだ。
プラスだと大きすぎて入らない。
カップフォルダーにした。
仕上げた中古車をテストする時に欠かせない。
空気清浄機を室内に置き、
カラダに向けてフレッシュエアーを出す。
室内に付いた匂いの緩和にも役立つ。
収まるところに収まったので、
再び元気よく走り始めた。
目的地は開田経由で伊那谷だった。
200km位一気に走ろうかと思ったが・・・・・、
止めた。
最近、味の濃いレガシィやWRXに乗り続け、
21世紀初頭のクルマに慣れきっていた。
それらのクルマと、
オープンデッキは同じ扱いをするクルマでは無い。
旧山口村の登坂車線のある国道を、
下りきった所でUターンした。
面白さを引き出すためには、
もっと地域に密着した使い方が相応しい。
引き返しながら、
最近足を踏み入れていない場所が沢山あると、
改めて感じた。
まず昼ご飯を食べる場所を決めようと、
馴染みのうどん屋に行った。
一昨年の大晦日に久しぶりに行き、
その後一度昼ご飯を食べに寄った。
だから半年ぶりくらいになるだろう。
暖簾が出ていない。
主は讃岐で丁稚奉公しうどんを覚えた。
そして中津川で開業した。
麺打ち場のガラスに貼ってある。
それが暖簾分けの証だと主から聞いた事がある。
この近所にその主が親しくしていたクルマ屋さんがある。
そこにも人の気配が全く無かった。
1年くらい前にこの店の社長が中津スバルへ寄ってくれた。
その時は元気だったが、
どうしたのだろうか。
小回りの利くオープンデッキ乗ったことが、
「きっかけ」になった。
活動半径は短いが密度は高い。
次に取材の約束をした事を思い出した。
特に時間の約束をしていなかったので、
順番を変え中津川市役所の分室を訪問した。
ここは中津川駅前再開発事業で、
汚い「どぶ川」を整えてから建てられたビルだ。
地下1階地上6階のでかいビルをぶっ建てた。
その中核になったのが「エコー」だった。
様々な理由で名乗れなかったようだが、
「ダイエー中津川店」がその実態だった。
このビルがオープンした時、
まだ高校1年生だった。
劇的に変化した中津川駅前に感動し、
何とか働いてみたいとアルバイトの募集に応募した。
集まった希望者は6~7人だった。
女子大生などは店内のサポートに回され、
男子高校生だった二人の応募者だけが建物の裏に連れて行かれた。
まだ若いアルバイト担当は酷い男だった。
ろくに仕事の説明もせず、
「ここのごみをかたづけて」の一言だけだった。
ビルのごみが全て集まる生ゴミ置き場だった。
長靴もなければスコップもない。
生鮮から出た生ゴミに混じって、
たこ焼きなどの廃棄物も山のようにある。
「どうやるんですか」と聞くと、
彼は冷たく「手でやって」と言い放った。
逃げて帰ればそれまでだが、
そんな事は悔しいからしたくない。
指でも怪我したら、
大変な病気を拾うかも知れないが、
それよりも仕事を遂行したかった。
「いくら何でもこれを手でかたづけるのは無理ですよ」と言ったら、
「奢ってやるから」と全く聞いていない答えを返してきた。
生ゴミ全部両手ですくい取り、
へとへとになって仕事を終え内部のサポートに回った。
今度は生鮮食品に加わる訳だが、
それまで素手で生ゴミ触らせて置いて、
よく言えるなと思った。
生ゴミの匂いが両手から抜けるのに、4~5日掛かったと思う。
でもやって良かった。
その時の女子大生の人が、
気の毒がってくれて、
一度街で出会ったら奢ってくれたことがあった。
かたやそのアルバイト担当は、
奢るという約束など果たす気が無いようだった。
業を煮やして「あの約束はどうなったんですか」と聞きに言ったら、
「ああ、あれか」と言って、
おもむろに財布から1000円出して迷惑そうな顔をした。
お金をくれるだけ責任感はあると思うが、
そういう問題じゃなかった。
安い食い物でかまわないので、
「あの時は有り難う」と誘って欲しかった。
ダイエーの裏側を見たのは良い経験になった。
特に箱に入ったままの暖かいたこ焼きやお好み焼きが、
100食以上も破棄されていたのは衝撃だった。
その時は解らなかったが、
今なら想像が付く。
恐らく、
架空注文で騙されたのだろう。
受注ミスであのように大量処分が起きるとは考えにくい。
ダイエーには
強引な何かが常に付きまとっていた。
バイイングパワーの効果で価格は安かったが、
中津川のお店には、立派な店構えの割に、
ごみ置き場を掃除する道具さえ揃っていなかった。
その同じ場所に、
市役所の出先機関が出来上がった。
一階フロアの半分を占める名産品売り場は、
始めて中津川に来た人が、
短時間で良質なお土産を買うのに相応しい場所だ。
野菜などの産直コーナーもある。
とても良心的な販売所が出来上がっている。
工芸菓子が展示されている。
中津川の和菓子が、
本物である事を証明する作品だ。
印鑑証明や住民票も取得できるようになった。
取材を申し込んだのが良いきっかけになった。
驚いたことが沢山あった。
続く