望桜荘の花梨が綺麗に花を咲かせた、 儚いピンクが新緑と青空に映え、とても爽やかで美しい。
とても爽やかな人たちがやって来た。
名古屋スバルの自動車部御一行様だ。
この仕事に就いた昭和50年代から、
名古屋スバルにそのような組織がある事を知っていた。
きっかけは中津川にある黒井沢と言う場所で、
4WDジャンボリーが開かれたからだ。
そこにSUBARUレオーネエステートバン4WDを駆る、
一風変わった人たちが参加した。
嵩上げ車高の4WDバンが、
ジープやジムニーを相手に不整地を駆け回っていた。
当時はSTIなど正規のモータースポーツ関連部署は無く、
宣伝課の一部が群馬の太田にある実験部隊と組んで、
準ワークス活動をしていた。
他に「チームスバル」というモータースポーツ組織もあって、
ラリーやダートラに挑戦していた時代だ。
その頃の名古屋スバル自動車部も、
チームスバルと関わりがあったようで、
親しくなったメンバーの一人が、
普通では知り得ない不思議な情報を沢山教えてくれた。
普段なら店を閉める水曜日だが、
同じSUBARU仲間だから、
この日しか集まれない事は良く解っている。
それで朝からシャッターを開けて来訪を待つと、
聞きなれたスバルサウンドが遠くから響いてきた。
おおよそ漏れ無く、
クルマが好きな連中の行動は同じだ。
まず工房の奥のギャラリーから動けなくなる。
上へどうぞと言っても、
砂糖を見つけた蟻のようにあちこちで塊を作る。
呼び集めてB-factionを案内し、
次にSABを案内した。
ここにはアルシオーネのホワイトボディがあるので、
スバルグローバルプラットフォーム(SGP)とは何を意味し、
それがボディコンへどのように棚がってゆくのかを、
旧世代のボディの細部を見せて説明した。
いよいよSGP第二弾がまもなくデビューするから、
せっかく来た機会にもう一度復習してもらった。
芝桜が綺麗に咲いた望桜荘に案内し、
少し「まったり」してもらった後に、
冒頭の記念写真を撮影した。
過去のSUBARUが何を意味し、
これからのSUBARUに何を期待すべきなのか、
まずきちんと予習して戴いた。
そして次の目的地に移動した。
自動車部のリーダー磯貝さんの乾杯で、
バーベキューがスタートした。
真夏のような陽射しなので、
ノンアルコールビールが旨い。
妻と娘で仕込んだサラダやマリネ、
炊き込みご飯のおにぎりが飛ぶように胃袋に収まった。
いいねぇ。
若い人たちには勢いがある。
最近バーベキューなどやった事が無いので、
皆さんの来訪が良いきっかけになり楽しい時間を過ごせた。
せっかく名古屋から来訪されたので、
ご当地の名産品も揃えた。
骨付きソーセージも地元の熊崎畜産で購入した逸品だ。
これは凄く美味しいので、
中津川に来たらお土産にされると良いだろう。
中津スバルから1kmほどの場所にあり、
金曜と土曜だけ店を開く。
お腹が満ちた所で、
それぞれの自己紹介が始まった。
全て紹介したいところだが、
時間の都合で省略させていただく。
磯貝部長以下、
中川区の加藤さん、
岡崎市の葉賀さん、
守山区の柴田さん、
東海市の寺田さん、
天白区の伊藤さん、
小牧市の稲熊さん、
西尾氏の浅岡さん、
春日井市の小島さん、
豊田市の根石さん、
千種区の足立さん、
とても楽しいお話をありがとうございました。
そしていよいよ〆の時間になり、
飛び切りのB級グルメを用意した。
とてもバーベキューに向いた「ケイちゃんやきそば」だ。
新しい中津川名物なので、
このパッケージも覚えておいて欲しい。
日持ちしないので中津川に来たら買って帰ろう。
ステキなお土産を戴いた。
ずっしり重い袋から上等な箱に入った包みが現れた。
これは初めて見るブランドだ。
仏蘭西焼菓子調進所と書かれている。
洒落た店の名は足立音衛門。
ほう。
ロールケーキじゃないか。
皆揃ったら包みを開く。
切って食べる時がとても楽しみだ。
皆さん有難うございました。
どうぞご遠慮なくまたお越しください。
皆さんに見て戴いたクルマたちは、
黄砂の影響を受けて真っ黄色になっていた。
手の届く範囲なら拭けるけど、
全体的に少し汚れた状態だったので、
一斉に中から出して掃除した。
還暦を迎えたようなクルマは、
なるべく濡らさない方が良いので、
ボディ全体をタオルで優しく拭いてやる。
サブロクの後に1000シリーズを綺麗に整えた。
月に一度掃除することはとても大切で、
劣化の状態も把握できるし、
展示中の変化も掌握しやすい。
良く見たらスバル1000の説明看板がなくなっていた。
移動する内に付け忘れたのだろう。
後席に転がっていた。
もう一台のスバル1000も看板を持っているが、
これはまだまだお見せできる状態ではない。
メッキパーツも完成したし、
内装の貼り換えも終わっているが、
走れるのはまだまだ先だ。
何しろ「復活」させる作業は当分難しいのが実情だ。
このクルマのように形に何の問題も無く、
しっかり走れるものを整えるのは比較的容易だが、
その他の作業はすべて凍結している。
理由は簡単で、
大きな作業をスケジュールに組む余裕が無い。
維持管理をすることも大変な苦労が伴うが、
このクルマのように正面装備となった以上、
常に100%の能力発揮を必要とされるクルマもある。
久し振りに1kmほど走らせて、
このクルマの怪音を楽しんだ。
運転席で聞くより、
通過騒音を聞く方が愉しい、
正にスバルらしいクルマだ。
テストを終えて杉本君の手に託した。
メカニックの愛情が古いクルマには欠かせない。
久し振りに、
ワークスチューンの優れたエンジンと、
ナイフでバターを切る手応えを味わった。
クルマをギャラリーに戻した。
真っ新のカバーに交換してまた眠る。
まだ一部のガラスを外したままだ。
埃だらけにならないようカバーで守る。
最後にR1を納めて、
作業は無事完了した。
基本的に本館の展示車はこの13台だ。
他にもその時の状況に合わせて展示が増える。
来訪者の皆さんにお願いしたいのは、
絶対に手を触れないで頂きたいと言う、
非常に簡単なルールだけだ。
元々展示が目的ではないので、
車体の間にほとんど隙間が無い。
クルマが揃って居る雰囲気を楽しんで欲しい。
最近非常に困った事がある。
いきなり電話で「整備士に換われ」と言われるケースだ。
先日も偶々電話に出て、
その様な事を言われたので出来ない旨を伝えた。
理由は忙しいからに決まっている。
すると「古いサンバーのリヤハブを分解する方法を教えろ」という。
決してお願いではない。
命令口調だ。
中には電話を折り返しよこせと言う人もいる。
断ったら罵詈雑言を浴び割掛けられた。
お得意様となり人間関係を構築してから、
人にモノを頼むのが礼儀というものだろう。
どちらのケースも電話の声から推定し、
不良老人の部類に入る人達だ。
良い「歳を重ねる」ための反面教師とさせていただき、
有難く拝聴しているが、
まだまだ修行が足りず解脱できていないので、
30分ぐらいムカムカする。
まあ世の中には色々な人が居るものだ。
でももっとムカムカするんだ。
最近の政治を見ていると、
つまらない事で上げ足を取ってる。
政治家も嘘八百で飾り立てるから始末が悪い。
「良識」とは何か。
セクハラ、パワハラとヒステリックに騒ぐことは良いけど、
そんな事ばかりやってるとまたスキを突かれるぞ。
働き方が厳しいと言うけど、
一人で働いたらもっと厳しいぞ。
日本の政治を子供じみた野党が滞留させ、
それを派閥反主流派が後押しする。
日本の働き方がブラックだと、
メディア全体が取り上げるうちに、
メディアの力が週刊誌より下がった。
公休日だらけの日本にして、
競争力を付けないように付けないようにそぎ落とされ、
最後に笑うのは本当に今の若い世代なのだろうか。
サブロクの還暦を祝う気になれないね。
今の日本にはもちろんの事、
スバルにも居ないからだ。
サブロクを祝っても何の効果も無い。
祝うべきはサブロクを作ってから、
スバル1000を開発した執念だ。
その頃の日本に帰る日はいつになるのだろう。
名古屋スバルの自動車部御一行様だ。
この仕事に就いた昭和50年代から、
名古屋スバルにそのような組織がある事を知っていた。
きっかけは中津川にある黒井沢と言う場所で、
4WDジャンボリーが開かれたからだ。
そこにSUBARUレオーネエステートバン4WDを駆る、
一風変わった人たちが参加した。
嵩上げ車高の4WDバンが、
ジープやジムニーを相手に不整地を駆け回っていた。
当時はSTIなど正規のモータースポーツ関連部署は無く、
宣伝課の一部が群馬の太田にある実験部隊と組んで、
準ワークス活動をしていた。
他に「チームスバル」というモータースポーツ組織もあって、
ラリーやダートラに挑戦していた時代だ。
その頃の名古屋スバル自動車部も、
チームスバルと関わりがあったようで、
親しくなったメンバーの一人が、
普通では知り得ない不思議な情報を沢山教えてくれた。
普段なら店を閉める水曜日だが、
同じSUBARU仲間だから、
この日しか集まれない事は良く解っている。
それで朝からシャッターを開けて来訪を待つと、
聞きなれたスバルサウンドが遠くから響いてきた。
おおよそ漏れ無く、
クルマが好きな連中の行動は同じだ。
まず工房の奥のギャラリーから動けなくなる。
上へどうぞと言っても、
砂糖を見つけた蟻のようにあちこちで塊を作る。
呼び集めてB-factionを案内し、
ここにはアルシオーネのホワイトボディがあるので、
スバルグローバルプラットフォーム(SGP)とは何を意味し、
それがボディコンへどのように棚がってゆくのかを、
旧世代のボディの細部を見せて説明した。
いよいよSGP第二弾がまもなくデビューするから、
せっかく来た機会にもう一度復習してもらった。
少し「まったり」してもらった後に、
冒頭の記念写真を撮影した。
これからのSUBARUに何を期待すべきなのか、
まずきちんと予習して戴いた。
そして次の目的地に移動した。
自動車部のリーダー磯貝さんの乾杯で、
バーベキューがスタートした。
ノンアルコールビールが旨い。
妻と娘で仕込んだサラダやマリネ、
炊き込みご飯のおにぎりが飛ぶように胃袋に収まった。
若い人たちには勢いがある。
最近バーベキューなどやった事が無いので、
皆さんの来訪が良いきっかけになり楽しい時間を過ごせた。
ご当地の名産品も揃えた。
これは凄く美味しいので、
中津川に来たらお土産にされると良いだろう。
中津スバルから1kmほどの場所にあり、
金曜と土曜だけ店を開く。
お腹が満ちた所で、
それぞれの自己紹介が始まった。
時間の都合で省略させていただく。
磯貝部長以下、
中川区の加藤さん、
岡崎市の葉賀さん、
守山区の柴田さん、
東海市の寺田さん、
天白区の伊藤さん、
小牧市の稲熊さん、
西尾氏の浅岡さん、
春日井市の小島さん、
豊田市の根石さん、
千種区の足立さん、
そしていよいよ〆の時間になり、
飛び切りのB級グルメを用意した。
新しい中津川名物なので、
このパッケージも覚えておいて欲しい。
日持ちしないので中津川に来たら買って帰ろう。
ずっしり重い袋から上等な箱に入った包みが現れた。
これは初めて見るブランドだ。
仏蘭西焼菓子調進所と書かれている。
洒落た店の名は足立音衛門。
ロールケーキじゃないか。
切って食べる時がとても楽しみだ。
どうぞご遠慮なくまたお越しください。
皆さんに見て戴いたクルマたちは、
黄砂の影響を受けて真っ黄色になっていた。
手の届く範囲なら拭けるけど、
全体的に少し汚れた状態だったので、
一斉に中から出して掃除した。
なるべく濡らさない方が良いので、
ボディ全体をタオルで優しく拭いてやる。
サブロクの後に1000シリーズを綺麗に整えた。
月に一度掃除することはとても大切で、
展示中の変化も掌握しやすい。
良く見たらスバル1000の説明看板がなくなっていた。
後席に転がっていた。
これはまだまだお見せできる状態ではない。
内装の貼り換えも終わっているが、
走れるのはまだまだ先だ。
何しろ「復活」させる作業は当分難しいのが実情だ。
このクルマのように形に何の問題も無く、
その他の作業はすべて凍結している。
理由は簡単で、
大きな作業をスケジュールに組む余裕が無い。
このクルマのように正面装備となった以上、
常に100%の能力発揮を必要とされるクルマもある。
久し振りに1kmほど走らせて、
このクルマの怪音を楽しんだ。
通過騒音を聞く方が愉しい、
正にスバルらしいクルマだ。
メカニックの愛情が古いクルマには欠かせない。
ワークスチューンの優れたエンジンと、
ナイフでバターを切る手応えを味わった。
埃だらけにならないようカバーで守る。
作業は無事完了した。
他にもその時の状況に合わせて展示が増える。
絶対に手を触れないで頂きたいと言う、
非常に簡単なルールだけだ。
元々展示が目的ではないので、
車体の間にほとんど隙間が無い。
クルマが揃って居る雰囲気を楽しんで欲しい。
最近非常に困った事がある。
いきなり電話で「整備士に換われ」と言われるケースだ。
先日も偶々電話に出て、
その様な事を言われたので出来ない旨を伝えた。
理由は忙しいからに決まっている。
すると「古いサンバーのリヤハブを分解する方法を教えろ」という。
決してお願いではない。
命令口調だ。
中には電話を折り返しよこせと言う人もいる。
断ったら罵詈雑言を浴び割掛けられた。
お得意様となり人間関係を構築してから、
人にモノを頼むのが礼儀というものだろう。
どちらのケースも電話の声から推定し、
不良老人の部類に入る人達だ。
良い「歳を重ねる」ための反面教師とさせていただき、
有難く拝聴しているが、
まだまだ修行が足りず解脱できていないので、
30分ぐらいムカムカする。
まあ世の中には色々な人が居るものだ。
でももっとムカムカするんだ。
最近の政治を見ていると、
つまらない事で上げ足を取ってる。
政治家も嘘八百で飾り立てるから始末が悪い。
「良識」とは何か。
セクハラ、パワハラとヒステリックに騒ぐことは良いけど、
そんな事ばかりやってるとまたスキを突かれるぞ。
働き方が厳しいと言うけど、
一人で働いたらもっと厳しいぞ。
日本の政治を子供じみた野党が滞留させ、
それを派閥反主流派が後押しする。
日本の働き方がブラックだと、
メディア全体が取り上げるうちに、
メディアの力が週刊誌より下がった。
公休日だらけの日本にして、
競争力を付けないように付けないようにそぎ落とされ、
最後に笑うのは本当に今の若い世代なのだろうか。
サブロクの還暦を祝う気になれないね。
今の日本にはもちろんの事、
スバルにも居ないからだ。
サブロクを祝っても何の効果も無い。
祝うべきはサブロクを作ってから、
スバル1000を開発した執念だ。
その頃の日本に帰る日はいつになるのだろう。