12月9日、今年のカーオブザイヤーの10ベストカーがまず表彰を受けた。 向かって左から2人目が阿部PGMだ。 Jウエーブの看板番組「グルーブライン」でおなじみの、ピストン西沢が司会進行し、ノミネート車が順番に紹介された。
ピストン西沢って本当に面白い。会ったことはないが東京に行くと必ず彼の番組を聴く。
部門賞の発表の後、いよいよカーオブザイヤーの発表となった。
「痺れるなぁ」スバルのO部長が思わずそっと呟いた瞬間だ。 「やった!」
スバリストの誰もがそう叫んだ瞬間だ。
プリウスとガチの真剣勝負だった。
奇遇にも、
今回平成15年の四代目レガシィ以来、2度目の受賞だ。
その時も相手はプリウスだった。
下馬評では日本カーオブザイヤー(COTY)はプリウス。
そんな雰囲気が流れる中、
レガシィが栄光を勝ち取った。
だから会場に居たスバルの関係者は、
皆その行方を拳を握りしめて注目した。
新型インプレッサが受賞し、
阿部PGMが委員長とがっちり握手した。
万感の思いだろう。
阿部さん、
そしてインプレッサ開発チームの皆さん、
本当におめでとうございます。
また吉永社長にも心からお祝いを申し上げたい。
もう13年も前のことになるのか。
四代目レガシィもプリウスも、
共に時代に鍛えられ成長を続けた。
常にライバルだったのかもしれない。
電動化は避けられないが、
まだまだやるべき技術開発は沢山ある。
改善の手を緩めないスバルの姿勢が、
多くの専門家に高く評価された。
これほど嬉しいことはない。
たゆまぬ改善と、
摂理に沿った仕事。
これが重要な時代になった。
それにしても忙しい1週間だった。
あっという間に土曜日になって、
時の過ぎ去る速さを実感した。
東京出張で青森スバルの大川さんと久しぶりに飲んだ。 彼は日本酒党だし、自分の領域をストイックに決める意志の強い人間だ。
決して飲み過ぎないが、かなりの量を食べる。 東京の個人営業する居酒屋はレベルがとても高い。 なみなみと酒を注ぎ、
料理も山のように出る。
楽しい時間を過ごすことが出来た。
大川さんの紹介で、
岩手スバルの猿方さんに会った。
東北の人は皆人柄が良い。それと粘り強い。 糖質制限などと言い出せる雰囲気ではなかった。久しぶりの蕎麦は、とても美味しかった。
彼らが凄いのは、この後まだ食べることだ。
そういえば食べたらもう一軒ハシゴすることもある。 その方法が少し違うだけだが、流石についていくことが出来なかった。 とても旨そうだが、
見た途端アタマの中に赤信号がともった。
10年一昔前と言うけれど、
あの頃は平気だったな。
いまから11年前は、
好きなだけ食べて、
好きなだけ飲んで、
やりたいことをやり放題だった。
体重は74kgまで増加し、
原因不明の肩こりが続いていた。
少し習慣を変え、
自分を変える努力をしたら、
周りの様子が変わってきた。
その頃はまだ望桜荘ではなく、
古くから代々続くこの家の持ち主の方が住んでいた。
2005年4月26日に、
消防車の出る騒ぎになった。
火はすぐ消えたが、
処理に困った廃材を野焼きする習慣が原因だった。
東京出張から戻り、
同じ場所から外を見た。
能力増強工事が始まっていた。
11年という年月は、
とても昔と形容するには至らない。
この火災の翌年に病気でこの家の主が倒れた。
お亡くなりになったのが、
本当についこの間のように思える。
喪に服し一年空けてから、
まず埋められていた廃材などを全て綺麗に取り出した。
地面の下に何があるのか、
皆目見当もつかなかった。
埋められていた、
ありとあらゆる廃棄物を処理し、
周りの空間との調和を模索した。
自分達で出来ることを、
自分たちの力を頼りに進めた。
削り取った斜面には植生マットを貼り付けた。
そしてニードフルシートを敷き詰めて、
その後どうするか焦らずに考えることにした。
まず素の状態で確かめる。
SABや望桜荘もそうした流れから誕生した。
コンクリートやアスファルトを一切使わないと固く誓った。
そして今から9年前の2007年12月31日に、
外部環境が全て整った。
初売りに備え、
クルマをズラリと並べた。
秋口にはSABの原型も誕生していた。
望桜荘も改善を始めた。
その翌年のゴールデンウイークに向けて、
望桜荘開設の準備を急いだ。
植生マットから植物がドンドン生え始めた。
この一帯が誕生してから、
9年間に渡り様子を見た。
改善を続けた望桜荘の周りにも、
良い意味で変化が生じてきた。
植生が大きく変化してきたのだ。
同じように、中津スバルの置かれた環境にも変化が生じ、遠方から来店されるお得意様が増えた。
明らかに駐車スペースが足りなくなった。
遠方のお得意様は中津スバルに商品や技術、
それに知識を買い求めに来店される。
そして社員と店を育てるために物品や整備を購入される。
このような人たちのクルマを置くためには、
雨が降るとぬかるむ場所では不都合が多い。
それに少しでも車高が下がっていると、
今の入り口の高さでは車体の一部を擦る。
そこを下げ全体の高さを調整するためには、
プロに仕事に頼るしかない。
VWのオフ会で参加者の受け入れに限界を感じ、
一気に年内に施設を整える事にした。
入り口の高さを下げるために、
路盤を削り取った。
改善した9年前のまま、
綺麗な土が現れた。
僅か一日で乗り入れ面が大幅になだらかになって、
続いてスロープに向かって表面を削る。
剥がしたマットは別の場所で再利用する。
遠くから来られるたお客様は、
当然近くのお客様より長く滞在されたいはずだ。
それならば望桜荘は格好の隠れ家となる。
素人の技術だけでこれ以上の設備にすることは無理だと実感した。
今度の作業も元旦に照準を合わせた。
初売りを円滑に始めるためにも、
このタイミングを外せなかった。
全体的に不陸を修正し、
路床掘削が終わった。
スロープを丁寧に削った爪痕が残る。 作業は上段の路盤に移り、土を丁寧に削る取った。 曖昧に合わせていた高さを修正し、
これまで作ってきた花壇などはきちんと残す。
いよいよ土曜日の舗装工事に向かって、
朝から路盤工事進んだ。
アスファルトに決めた理由は、
コストと工期だ。
でも浸透舗装が標準化され、
環境負荷が和らいだことも理由の一つだ。
インターロッキングも検討したが、
意外に地中に埋めるモノが多く、
けっして得策だと思えなくなった。
砕石を使わずに頑張ってみたが、これなくしてアスファルト舗装は出来ない。 砕石も凄い量を使う。 だからバージンに拘った。 最近は再生材も多いが、
それだけは使う事を止めた。
流石にプロの仕事は早くて正確だ。
あっという間に綺麗に敷き詰められていく。
花壇や法面の植物をはぐくみながら、
安全で快適な展示場も作る。
一歩一歩前進することが、
次のチャンスに繫がるはずだ。
いよいよ年の瀬だ。
今年のカレンダーも刷り始めた。
ご予約いただいた皆さんには大変お待たせして申し訳ありませんでした。
表紙はドイツで撮ったアウトバックに決めた。
間も無く発売開始なので、
興味のある方はホームページをご覧いただきたい。
ピストン西沢って本当に面白い。会ったことはないが東京に行くと必ず彼の番組を聴く。
部門賞の発表の後、いよいよカーオブザイヤーの発表となった。
「痺れるなぁ」スバルのO部長が思わずそっと呟いた瞬間だ。
スバリストの誰もがそう叫んだ瞬間だ。
奇遇にも、
今回平成15年の四代目レガシィ以来、2度目の受賞だ。
下馬評では日本カーオブザイヤー(COTY)はプリウス。
そんな雰囲気が流れる中、
レガシィが栄光を勝ち取った。
だから会場に居たスバルの関係者は、
皆その行方を拳を握りしめて注目した。
新型インプレッサが受賞し、
万感の思いだろう。
阿部さん、
そしてインプレッサ開発チームの皆さん、
本当におめでとうございます。
また吉永社長にも心からお祝いを申し上げたい。
もう13年も前のことになるのか。
四代目レガシィもプリウスも、
共に時代に鍛えられ成長を続けた。
常にライバルだったのかもしれない。
電動化は避けられないが、
まだまだやるべき技術開発は沢山ある。
改善の手を緩めないスバルの姿勢が、
多くの専門家に高く評価された。
これほど嬉しいことはない。
たゆまぬ改善と、
摂理に沿った仕事。
これが重要な時代になった。
それにしても忙しい1週間だった。
あっという間に土曜日になって、
時の過ぎ去る速さを実感した。
東京出張で青森スバルの大川さんと久しぶりに飲んだ。
決して飲み過ぎないが、かなりの量を食べる。
料理も山のように出る。
岩手スバルの猿方さんに会った。
彼らが凄いのは、この後まだ食べることだ。
そういえば食べたらもう一軒ハシゴすることもある。
見た途端アタマの中に赤信号がともった。
10年一昔前と言うけれど、
あの頃は平気だったな。
いまから11年前は、
好きなだけ食べて、
好きなだけ飲んで、
やりたいことをやり放題だった。
体重は74kgまで増加し、
原因不明の肩こりが続いていた。
少し習慣を変え、
自分を変える努力をしたら、
周りの様子が変わってきた。
その頃はまだ望桜荘ではなく、
古くから代々続くこの家の持ち主の方が住んでいた。
消防車の出る騒ぎになった。
火はすぐ消えたが、
処理に困った廃材を野焼きする習慣が原因だった。
東京出張から戻り、
同じ場所から外を見た。
能力増強工事が始まっていた。
11年という年月は、
とても昔と形容するには至らない。
この火災の翌年に病気でこの家の主が倒れた。
お亡くなりになったのが、
本当についこの間のように思える。
喪に服し一年空けてから、
まず埋められていた廃材などを全て綺麗に取り出した。
地面の下に何があるのか、
皆目見当もつかなかった。
埋められていた、
ありとあらゆる廃棄物を処理し、
周りの空間との調和を模索した。
自分たちの力を頼りに進めた。
削り取った斜面には植生マットを貼り付けた。
その後どうするか焦らずに考えることにした。
まず素の状態で確かめる。
SABや望桜荘もそうした流れから誕生した。
コンクリートやアスファルトを一切使わないと固く誓った。
そして今から9年前の2007年12月31日に、
外部環境が全て整った。
クルマをズラリと並べた。
秋口にはSABの原型も誕生していた。
望桜荘も改善を始めた。
その翌年のゴールデンウイークに向けて、
望桜荘開設の準備を急いだ。
植生マットから植物がドンドン生え始めた。
この一帯が誕生してから、
9年間に渡り様子を見た。
改善を続けた望桜荘の周りにも、
良い意味で変化が生じてきた。
植生が大きく変化してきたのだ。
同じように、中津スバルの置かれた環境にも変化が生じ、遠方から来店されるお得意様が増えた。
明らかに駐車スペースが足りなくなった。
遠方のお得意様は中津スバルに商品や技術、
それに知識を買い求めに来店される。
そして社員と店を育てるために物品や整備を購入される。
このような人たちのクルマを置くためには、
雨が降るとぬかるむ場所では不都合が多い。
それに少しでも車高が下がっていると、
今の入り口の高さでは車体の一部を擦る。
そこを下げ全体の高さを調整するためには、
プロに仕事に頼るしかない。
VWのオフ会で参加者の受け入れに限界を感じ、
一気に年内に施設を整える事にした。
入り口の高さを下げるために、
路盤を削り取った。
綺麗な土が現れた。
僅か一日で乗り入れ面が大幅になだらかになって、
続いてスロープに向かって表面を削る。
剥がしたマットは別の場所で再利用する。
遠くから来られるたお客様は、
当然近くのお客様より長く滞在されたいはずだ。
それならば望桜荘は格好の隠れ家となる。
素人の技術だけでこれ以上の設備にすることは無理だと実感した。
今度の作業も元旦に照準を合わせた。
初売りを円滑に始めるためにも、
このタイミングを外せなかった。
路床掘削が終わった。
これまで作ってきた花壇などはきちんと残す。
いよいよ土曜日の舗装工事に向かって、
朝から路盤工事進んだ。
アスファルトに決めた理由は、
コストと工期だ。
でも浸透舗装が標準化され、
環境負荷が和らいだことも理由の一つだ。
インターロッキングも検討したが、
意外に地中に埋めるモノが多く、
けっして得策だと思えなくなった。
それだけは使う事を止めた。
花壇や法面の植物をはぐくみながら、
安全で快適な展示場も作る。
一歩一歩前進することが、
次のチャンスに繫がるはずだ。
いよいよ年の瀬だ。
今年のカレンダーも刷り始めた。
ご予約いただいた皆さんには大変お待たせして申し訳ありませんでした。
表紙はドイツで撮ったアウトバックに決めた。
間も無く発売開始なので、
興味のある方はホームページをご覧いただきたい。