スバルを「見る」から報告を続けよう。
SKCで使用されるペースカーも最新型になっていた。 SUVのアウトバックだが、抜群のドライブスキルを持つ内田さんが造り上げたクルマだ。
このクルマでニュルを走り、ポルシェ996ををパスした時、レガシィならではの安心感に感動した。
とてもスポーティでジェントルな性能も併せ持つ。SKCのOUTBACKは、高速周回路にも良く似合う仕立てだった。 ここはまさにテストコースなのだ。
集まったファンの車が何気なく並ぶ場所も、普段は苛酷なテストに使われている。
この場所があるから、世界最高水準の安全なクルマができる。皆それが一目で解ったはずだ。 見慣れたアルシオーネが取材を受けていた。関西のOさんは、完璧に仕上げたクサビで前日も中津スバルに立ち寄ってくれた。
取材中なので立ち去ろうとしたら、近くにいたお二人から挨拶を戴いた。 このブログをいつも見て戴いているそうだ。
スバリストは遺伝すると言うことを、まさに実証して戴いた。
今後ともよろしくお願いいたします。
駐車する時から、概ね車種毎に分類されていたようで、すぐ近くには大好きなスバルが揃っていた。
良い卵色に塗られた1300Gや、懐かしいビッグライトホイールを付けたクルマも居た。
このホイール欲しかったんだよな。
群馬のモータースポーツを象徴する憧れのホイールだ。
どこかに残っていないだろうか。
ヒストリックカーのお祭りなら、
こうしたクルマも見られるが、
他のスバルと比べられない。
ここには一族が全て集まるので、
同じクルマでも見え方が全く違う。
とにかく大切にしたくなる。
孫がおじいちゃんやおばあちゃんを粗末にしないのと同じ感覚だろう。
意外に少ないなと思ったら、
元気の良い連中が滑り込んできた。
澄んだボクサーサウンドをボロロロロと響かせながら、
一気に揃って入場だ。
真っ赤なバンなど、
スポーツの純正色に塗り替えられ、
相当の強者達だ。
付いているナンバーだって凄い。
当社でも新車当時のナンバーを持つクルマを、
全面的に改修中だ。
それをイメージした新年度のCMが、
ミーティングの終わるのを待っていたかのように届いた。
↓
動画
まさに生活の中でスバル1000を自然に使うように、
中津スバルでも永遠に身近な存在として残したい。
先輩、感服しました。
記念写真をお願いしたら、
即座にトランクから看板を取り出し、
ポーズを決めてくれた。
このチームワークが只者では無いことを充分知らしめた。
このクルマのナンバーを見ると、
どうもオーナーは同県民らしい。
ニコニコと笑っているオーナーを良く見ると、
何と平瀬君じゃないか。
彼も昔から古いスバルを大切にしている。
この世界では良く知られた人だ。
先日お目に掛かった安曇野の相馬さんも、
平瀬君の事を良く知っていた。
彼のクルマはさりげないが、
中身は凄い。
スバルffー1 Sportだ。
全くのオリジナル。
これにはソレックスのツインキャブが装備されているので、
保守にも一段と気を遣う。
こうしたヒストリックカーを文化財として認めないと、
日本のクルマ文化は良くない方向に向かう。
安倍総理ももう少し古屋大臣を見習って、
クルマ好きになって欲しい。
文化財を愛用するヒトのクルマに、
重加算税を掛けるとは何事だろう。
高速道路に於ける、
「捕まえるための取り締まり」も止めて欲しい。
あんな事を本気でやりたい現場のおまわりさんは、
居ないのでは無いだろうか。
日本のクルマの歴史を、
「文化」として牽引している刊行物の一つが、
ノスタルジックヒーロー(通称ノスヒロ)だ。
芸文社の高山副編集長も取材に訪れていた。
相変わらずアグレッシブに活躍しておられる。
副編集長の任務以上に、
スバリストとしての参加意義を感じているほどだ。
彼の脳内アーカイブは凄い。
相馬さんの1300Gの話をしたら、
「それは多分、私が取材しました」と仰った。
何という奇蹟か。
また線で繋がった。
高山さんの後ろにあるクルマにも、大変なドラマがある。 世界記録を樹立したクルマであることは、
誰もが知っている事実だ。
それも大切なことだが、
スバルにはもっと大切な裏話がある。
10万㎞世界速度記録を当時持っていたのは、
サーブだった。
その前がメルセデス。
3台同時に走らせて、
最も遅いクルマが記録を更新しないと、
先頭を走るクルマの記録も認められない。
量産車で参加することを前提とした、
苛酷なルールだ。
面白い資料がある。
その時の様子をミニカーのカタチで残した。
あまり知られていないが、
挑戦車両は4台作られた。
開発者の中村さんは、
「4」と言う番号を忌み嫌わず、
果敢に挑戦する意味合いで開発コードを44Bとした。
しかし挑戦するクルマを操縦する者には、
それを受け入れることが出来なかったようだ。
赤が1号車黄が3号車白が2号車グレーが5号車だ。
5号車は挑戦前にトラブルがあった場合に備え用意された。スタートの時点で役目を終え、3台が19日間に渡ってアリゾナで走り続けた。
白を先に走らせながら、赤と黄色で伴走し、様々なトラブルを克服しながら素晴らしい記録を達成した。
しかしもし失敗したらどうなるか。
マシンが回復不能な状態に陥れば即撤退だ。記録に挑戦したことなど、トップシークレットだ。
最大の機密事項になる。
と言う事は、外部の人間を一切関わらせることが出来ないと言うことだ。
それが何を意味するか。
まず社内で、チャレンジに必要な人数まで、レーシングドライバーを養成する必要があった。
当時、それが出来る人物がスバルの中にいた。それがオヤブンこと小関典幸さんだ。
24時間走り続けるクルマを、自分のタームで限界速度を維持するには、相当の訓練が必要だ。
それも3チーム揃えねばならない。
小関さんから直接聞いた事がある。「記録達成後、トヨタ自動車の副社長から、飯を食わないかと誘われました」
「話をするうちに、その副社長は『何が凄いって、そりゃあクルマも凄いが、社内で高速耐久出来るテストドライバーを、そんなに多く育てたところが凄い』と仰いました」
その話を良く覚えている。
ファンミーティングに参加した人達は、このアカデミーの存在に驚いたに違いない。
研究実験センターの高速周回路を走る為には、
研修を受けて免許を取る必要がある。
詳しい活動を知らないので、
その他にも役割を担っているかもしれない。
ハッキリ言えることは、
これがスバルの「トップガン」だ。
これをファンの目に焼き付けた意味は大きい。
見て欲しい。
一人を除き、
さりげなくスバルのジャンパーを着た、
気さくに見える社員の皆さんだ。
良く見ると全員レーシングスーツを着用している。
ここでは当たり前の制服で、
どの人もまるで作業服のように馴染んでいた。
夏木さんを紹介したい。
「あなたがSGPの立役者ですね」と水を向けると、
イヤイヤイヤと謙遜されている。 しかし、
どこから見ても只者では無い。
テストパイロットの雰囲気が体中に漲っている。
すると夏木さんは、
「いやもう一人、
相応しいのがいますから」と彼を紹介してくれた。
初めてお目に掛かった。
彼は高橋さんと仰るテストドライバーだ。
あまり詳しくお話しできなかったので、
中途半端な紹介で申し訳ない。
この姿からも良く解るように、
自他共に認めるスバルの業師だ。
是非一度ゆっくりお話ししたい。
スバルにこの様な組織があり、その中に優れた人物が沢山居ることを見せた。
これはファンにとって益々スバルを信頼する論拠の一つになるだろう。
残念だが、外部の人達が彼等からレクチャーを受けることは期待できない。
なぜなら研究実験が目的の場所で、ここでスクールを開くことは難しい。
スバルがSTIと言うプレミアムブランドを本気で育て、そのオーナーに50万円くらいの身銭を切らせないと、アカデミーなど成り立たない。
更にファンが増え、STIのプレミアムスポーツが世界中で飛ぶように売れれば、それも実現するだろう。
そのためには見せるだけで無く、
ガチで参戦車両と同じモノを売るべきだ。
歴代のレーシングカーが存在を誇示している。
STIという最高のブランドを見た人達は、
なぜ再三に渡りtSを否定したり、
STIの名前だけ使った中途半端なクルマ造りに、
警鐘を鳴らすのか、
その理由も理解出来たはずだ。
顧客向けのアカデミーを、
常時開催できるブランドになるためには、
STIのリリースするホンモノのスポーツカーが不可欠だ。
作っただけで売れなくても意味が無い。
瞬足で完売するホンモノで無いと、
ここまで目の肥えたファンにはもう通用しない。
それにしてもホンモノの出すオーラは凄い。
エキビジョンと言われる、姿だけでエンジンの入っていないマシンも数多く存在する。
プロドライブは、そう言う仕事もしていたからだ。 だからこのクルマが走ると聞いた時、
ちょっと驚くと同時に、
フィンランドで今は亡きバーンズと、
カンクネンがワンツーフィニッシュした時を懐かしく思い出した。
あのクルマは直進安定性が超絶に優れていた。
濡れたように閉まった路面の林道を、
時速200キロ近い速度で走り抜ける。
展示されていた場所から、スタッフが周回路の入り口に押していった。
ドライブするのは、もちろん世界のToshiだ。いよいよ目の前でエンジンに火が入った。
少し調子が悪く点検した後、出走する時間を待つ。
高速周回路に出てタイヤを温めたWRカーが戻ってきた。
ホンモノの鼓動が凄い!
↓動画
それにしても、改めて思ったことは、 このクルマの兄弟が当社に流れ着いたのは偶然では無い。
ここと同じように、
兄貴もいれば、弟もいる。
ここに紹介したほぼ全てのクルマが居るからだろう。
そう思えば思うほど、酸っぱいGC8が可愛くなった。
収容する場所が無いのは悩みでも、望桜荘の周りには安らぎの場所がある。
レガシィRSと並べて手入れを続けよう。
次のブログでは、体感をテーマに報告する。
お楽しみに。
SKCで使用されるペースカーも最新型になっていた。
このクルマでニュルを走り、ポルシェ996ををパスした時、レガシィならではの安心感に感動した。
とてもスポーティでジェントルな性能も併せ持つ。SKCのOUTBACKは、高速周回路にも良く似合う仕立てだった。
集まったファンの車が何気なく並ぶ場所も、普段は苛酷なテストに使われている。
この場所があるから、世界最高水準の安全なクルマができる。皆それが一目で解ったはずだ。
取材中なので立ち去ろうとしたら、近くにいたお二人から挨拶を戴いた。
スバリストは遺伝すると言うことを、まさに実証して戴いた。
今後ともよろしくお願いいたします。
駐車する時から、概ね車種毎に分類されていたようで、すぐ近くには大好きなスバルが揃っていた。
良い卵色に塗られた1300Gや、懐かしいビッグライトホイールを付けたクルマも居た。
群馬のモータースポーツを象徴する憧れのホイールだ。
どこかに残っていないだろうか。
ヒストリックカーのお祭りなら、
こうしたクルマも見られるが、
他のスバルと比べられない。
ここには一族が全て集まるので、
同じクルマでも見え方が全く違う。
とにかく大切にしたくなる。
孫がおじいちゃんやおばあちゃんを粗末にしないのと同じ感覚だろう。
意外に少ないなと思ったら、
元気の良い連中が滑り込んできた。
澄んだボクサーサウンドをボロロロロと響かせながら、
一気に揃って入場だ。
真っ赤なバンなど、
スポーツの純正色に塗り替えられ、
相当の強者達だ。
付いているナンバーだって凄い。
当社でも新車当時のナンバーを持つクルマを、
全面的に改修中だ。
それをイメージした新年度のCMが、
ミーティングの終わるのを待っていたかのように届いた。
↓
動画
まさに生活の中でスバル1000を自然に使うように、
中津スバルでも永遠に身近な存在として残したい。
先輩、感服しました。
記念写真をお願いしたら、
即座にトランクから看板を取り出し、
ポーズを決めてくれた。
このチームワークが只者では無いことを充分知らしめた。
このクルマのナンバーを見ると、
どうもオーナーは同県民らしい。
ニコニコと笑っているオーナーを良く見ると、
何と平瀬君じゃないか。
彼も昔から古いスバルを大切にしている。
この世界では良く知られた人だ。
先日お目に掛かった安曇野の相馬さんも、
平瀬君の事を良く知っていた。
彼のクルマはさりげないが、
中身は凄い。
スバルffー1 Sportだ。
全くのオリジナル。
これにはソレックスのツインキャブが装備されているので、
保守にも一段と気を遣う。
こうしたヒストリックカーを文化財として認めないと、
日本のクルマ文化は良くない方向に向かう。
安倍総理ももう少し古屋大臣を見習って、
クルマ好きになって欲しい。
文化財を愛用するヒトのクルマに、
重加算税を掛けるとは何事だろう。
高速道路に於ける、
「捕まえるための取り締まり」も止めて欲しい。
あんな事を本気でやりたい現場のおまわりさんは、
居ないのでは無いだろうか。
日本のクルマの歴史を、
「文化」として牽引している刊行物の一つが、
ノスタルジックヒーロー(通称ノスヒロ)だ。
芸文社の高山副編集長も取材に訪れていた。
相変わらずアグレッシブに活躍しておられる。
副編集長の任務以上に、
スバリストとしての参加意義を感じているほどだ。
彼の脳内アーカイブは凄い。
相馬さんの1300Gの話をしたら、
「それは多分、私が取材しました」と仰った。
また線で繋がった。
誰もが知っている事実だ。
それも大切なことだが、
スバルにはもっと大切な裏話がある。
10万㎞世界速度記録を当時持っていたのは、
サーブだった。
その前がメルセデス。
3台同時に走らせて、
最も遅いクルマが記録を更新しないと、
先頭を走るクルマの記録も認められない。
量産車で参加することを前提とした、
苛酷なルールだ。
面白い資料がある。
その時の様子をミニカーのカタチで残した。
あまり知られていないが、
挑戦車両は4台作られた。
開発者の中村さんは、
「4」と言う番号を忌み嫌わず、
果敢に挑戦する意味合いで開発コードを44Bとした。
しかし挑戦するクルマを操縦する者には、
それを受け入れることが出来なかったようだ。
5号車は挑戦前にトラブルがあった場合に備え用意された。スタートの時点で役目を終え、3台が19日間に渡ってアリゾナで走り続けた。
白を先に走らせながら、赤と黄色で伴走し、様々なトラブルを克服しながら素晴らしい記録を達成した。
しかしもし失敗したらどうなるか。
マシンが回復不能な状態に陥れば即撤退だ。記録に挑戦したことなど、トップシークレットだ。
最大の機密事項になる。
と言う事は、外部の人間を一切関わらせることが出来ないと言うことだ。
それが何を意味するか。
まず社内で、チャレンジに必要な人数まで、レーシングドライバーを養成する必要があった。
当時、それが出来る人物がスバルの中にいた。それがオヤブンこと小関典幸さんだ。
24時間走り続けるクルマを、自分のタームで限界速度を維持するには、相当の訓練が必要だ。
それも3チーム揃えねばならない。
小関さんから直接聞いた事がある。「記録達成後、トヨタ自動車の副社長から、飯を食わないかと誘われました」
「話をするうちに、その副社長は『何が凄いって、そりゃあクルマも凄いが、社内で高速耐久出来るテストドライバーを、そんなに多く育てたところが凄い』と仰いました」
その話を良く覚えている。
ファンミーティングに参加した人達は、このアカデミーの存在に驚いたに違いない。
研究実験センターの高速周回路を走る為には、
研修を受けて免許を取る必要がある。
詳しい活動を知らないので、
その他にも役割を担っているかもしれない。
ハッキリ言えることは、
これがスバルの「トップガン」だ。
これをファンの目に焼き付けた意味は大きい。
見て欲しい。
一人を除き、
さりげなくスバルのジャンパーを着た、
気さくに見える社員の皆さんだ。
ここでは当たり前の制服で、
どの人もまるで作業服のように馴染んでいた。
「あなたがSGPの立役者ですね」と水を向けると、
イヤイヤイヤと謙遜されている。
どこから見ても只者では無い。
テストパイロットの雰囲気が体中に漲っている。
すると夏木さんは、
「いやもう一人、
相応しいのがいますから」と彼を紹介してくれた。
初めてお目に掛かった。
彼は高橋さんと仰るテストドライバーだ。
あまり詳しくお話しできなかったので、
中途半端な紹介で申し訳ない。
自他共に認めるスバルの業師だ。
スバルにこの様な組織があり、その中に優れた人物が沢山居ることを見せた。
これはファンにとって益々スバルを信頼する論拠の一つになるだろう。
残念だが、外部の人達が彼等からレクチャーを受けることは期待できない。
なぜなら研究実験が目的の場所で、ここでスクールを開くことは難しい。
スバルがSTIと言うプレミアムブランドを本気で育て、そのオーナーに50万円くらいの身銭を切らせないと、アカデミーなど成り立たない。
更にファンが増え、STIのプレミアムスポーツが世界中で飛ぶように売れれば、それも実現するだろう。
ガチで参戦車両と同じモノを売るべきだ。
STIという最高のブランドを見た人達は、
なぜ再三に渡りtSを否定したり、
STIの名前だけ使った中途半端なクルマ造りに、
警鐘を鳴らすのか、
その理由も理解出来たはずだ。
顧客向けのアカデミーを、
常時開催できるブランドになるためには、
STIのリリースするホンモノのスポーツカーが不可欠だ。
瞬足で完売するホンモノで無いと、
ここまで目の肥えたファンにはもう通用しない。
それにしてもホンモノの出すオーラは凄い。
エキビジョンと言われる、姿だけでエンジンの入っていないマシンも数多く存在する。
プロドライブは、そう言う仕事もしていたからだ。
ちょっと驚くと同時に、
フィンランドで今は亡きバーンズと、
カンクネンがワンツーフィニッシュした時を懐かしく思い出した。
あのクルマは直進安定性が超絶に優れていた。
濡れたように閉まった路面の林道を、
時速200キロ近い速度で走り抜ける。
ドライブするのは、もちろん世界のToshiだ。いよいよ目の前でエンジンに火が入った。
少し調子が悪く点検した後、出走する時間を待つ。
高速周回路に出てタイヤを温めたWRカーが戻ってきた。
ホンモノの鼓動が凄い!
↓動画
それにしても、改めて思ったことは、
ここと同じように、
ここに紹介したほぼ全てのクルマが居るからだろう。
そう思えば思うほど、酸っぱいGC8が可愛くなった。
収容する場所が無いのは悩みでも、望桜荘の周りには安らぎの場所がある。
レガシィRSと並べて手入れを続けよう。
次のブログでは、体感をテーマに報告する。
お楽しみに。