昭和48年は記憶に残る年だ。
今の主力生産基地「矢島工場」を稼働させ、量産第一号車を完成させた。年の瀬が迫る12月22日の事だった。
これはその後大きな力を発揮するが、当時は生産力が余剰して、スバルは自社の持つ販売力ではおぼつかない暗黒期へと突入する。
モンベルから小包が届いた。
商品の価格は高いけれど、
それに見合う価値を持つ優れたブランドだ。
飲み口が具合悪く持ち込んだとこ...
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