中島知久平がたった一人で飛行機研究所を起こした時、彼はまだ33歳の海軍大尉だった。
彼は欧米列強の考える制空力を直視し、
当時の国防に対する不満を鬱積していた。
ところが、
彼のような優秀な男を、
当時の海軍が手放すはずが無い。
そこで彼は仮病を装い休職し、
農家の養蚕小屋を借りて、
密かに飛行機研究所を立ち上げた。
肝の座った男だった。
その年の暮れ、
彼は予備役に編入...
↧