英国人もWRXを欠かせぬ存在として認めているようだ。 青い稲妻は国民に相変わらず人気がある。一日が非常に短くて、9月はあっという間に終わってしまった。 彼等はドイツを取材して日本に来た。まるで入れ替わるように、ドイツに向かって出発する。
レポートを楽しみにして欲しい。人生には良い出会いがある。
ほんの数秒の接触が、思いもよらない知識の広がりを産み出す事もある。
9月21日の朝、交差点で声を掛けてくれたのは、竹谷賢二さんだった。 良い笑顔だなぁ。
本当に邪念が無い。
インプレッサWRXを通じて、また人の輪が広がった。
このクルマも邪念を持たない。 インプレッサ好きに、「自動車家畜論」は浸透しただろうか。
中津スバルには、クルマを機械と思わない人々が常に集う。
この動画を見て、「邪念の無さ」を共有してみないか。
インプレッサの吐く息から、手足の動きまで感じるはずだ。
武者震いするようなWRX達が集まったせいで、
青いカラダから「火照り」が抜けなかった。
そこで思いっきり手足を伸ばすように、深夜のワインディングへ連れ出した。
「不易と流行」を思い出した。
いつまでも変わらずにあるべきモノと、時代に合わせて変わるモノがある。
「おはぎ」を例えてみよう。
邪気払いとして供える、お彼岸に欠かせない風物詩だ。
小豆の赤い色には魔除け効果がある。その小豆に、砂糖を加えると「あんこ」が出来る。
その昔、砂糖は高級な食材だった。
それを今とは違い餅米も高級だった。それで炊いたご飯に「あんこ」を付けて、ご先祖様に供える。
これは「不易」そのものだ。
中津川には物凄い「流行」がある。
小豆に対して、栗を使う。
小豆が原料の餡ではなく、栗きんとんの「そぼろ餡」を使う。
それをまぶして、きゅうっと固め店先に並べる。例えようも無く旨い食い物だ。
レシピは簡単そうで複雑だ。簡単に家で作れるお菓子では無い。
イングリーディアントは、栗と砂糖と塩と餅米と僅かな白餡だ。
もっちりした食感と、栗の風味がふわーっと鼻腔の奥に広がる様は、ここでしか買えない独特の味だ。
七福謹製の栗おはぎは、9月から10月までしか売らない。だから栗きんとんより稀少なお菓子だ。
「本日中にお召し上がり下さい」と但し書きがある。
その日限りの売り切りで、しかも全く日持ちがしない。
松島さんのSVXをリフレッシュした。作業が終わりオフ会の日に受け取りに来られたが、DEの最中でお目に掛かれなかった。
せっかく来て戴いたのに、申し訳ありませんでした。
SVXは抜群の状態を維持しているので、今後も安心してお使い戴ける。
松島さんから伊勢の名物を戴いた。 とても美味しかった。
伊勢の赤福も日持ちしない。
これらは「不易」の代表だ。
22Bのオフ会で飛び回っている間に、仙台から長谷さんもいらっしゃった。お目に掛かることが出来ず残念でした。 ステキなお土産をありがとうございました。
このお菓子を見て、大宮が目を丸くした。 丁寧に包装され、彼は萩の月がとても有名だと言う。包装紙には、冷やして食べると美味しい。生ものなので早めに食べる事。
この二点が貼り付けてあった。
包みを開けると、中に更に小分けされた箱が並ぶ。 箱から取り出して感心した。
生ものなのだが、脱酸素剤を入れた小袋に仕分けられている。この「前段階」を開発した老舗らしい。
今では、栗きんとんも製法を工夫し脱酸素剤を入れることで、全国発送が可能になった。
淡いカスタードの香り。 甘くて柔らかな食感。 爆発的に売れる理由が良く解る。果敢にチャレンジして、現在の嗜好に合わせた開発を進める。まさに「流行」そのものだ。
不易と流行は、どちらも欠かせない商品開発の基本だろう。
日曜日の朝、展示場から一切のクルマが消えた。
そして大宮が、青い稲妻の来訪を待つ。彼が展示の総責任者だ。 取材陣も待ち焦がれていた。 交差点で絶好のアングルを狙っている。
あっという間に、展示場がブルー一色で埋め尽くされた。
正式名称インプレッサ STIバージョン22B
22は排気量を示す。1998年に、僅か400台だけ生産された。 オーナーの愛情がどのクルマからも迸る。勢揃いしたところで、全員望桜荘に集まってもらった。 もし放っておくと、一斉にクルマ談議が始まり、それは留まることを知らない。
一年に一度だけ西は九州、東は関東平野から集まるのだ。だから話は尽きることが無い。しかし時間は限られている。
何事も最初が肝心で、まず落ち着いて全体を俯瞰できないと、簡単に「オトナの皮」を脱ぎ捨てられない。
皆で一斉に「コドモのココロ」を取り戻す。そのためには、正しく手順を踏まねばならぬ。
まず代表の児玉さんからご挨拶を戴いた。なによりも無事に再会できたことを喜び合った。 これで9回目の開催なので、スバルマガジンの取材を受けた。 山本編集長と、フォトグラファーの雨田さんは、前夜から中津川入りした。そして入念に企画を温めた。
挨拶に続いて、 スバルマガジンを手に取り、創刊した理由を熱く語られた。
本当にスバル好きな人達のために、雑誌を作る思いを凝縮されたのだという。
おとなしく聞いているが、
この連中の心には、そろそろ邪気が躍り出ようとしていた。
どんなにエライ人でも、どんなに真面目な人でも、どんなに怖い人でも、どんなに痛い人でも、ここに座れば即座に同志だ。
その頃、展示場はこんな状態だった。
信号で止まるクルマは、一斉にこちらを凝視する。 真っ青な店頭を見て、一帯何が起こるのかと思うのだろう。
金子さんの奥さんと、二人のお子さんは、オトナが集う場所より、こちらの方が心地良い。彼等は何度もこの会に参加しているので、父親がコドモに戻る瞬間より、沢山の青いクルマを見る方が楽しいのだ。
皆さんから沢山のお土産を戴いた。 ありがとうございました。
色々な地域の名物が一堂に揃うと、本当に壮観だ。
見たことの無いお菓子も沢山ある。
有名なお菓子の限定版もあった。
金子さんから、いつも愉快なミニカーを戴く。
このラジコンもステキだった。こうして掌に収めて感じた。
それは軽自動車の今後だ。スバルもそろそろ日本の顧客に、本気でサービスしたら良いのでは無いか。
相変わらずスバルの軽に乗りたい人は多い。
着せ替え人形を作れるコペンを借りて、このアウタースキンを載せれば良い。
別に軽自動車の規格からはみ出しても良いじゃ無いか。4人乗れれば良いのだから。
ダイハツとバッティングしないし、200万円以上で売ることが出来る。大切なのは縦横比と、アイデンティティだけだ。
アイサイトも要らないし、高度な燃費技術も必要としない。
その頃、望桜荘では門外不出の秘話が繰り広げられていた。
秘話に耳を傾けた後は、コドモに戻るための糸口を掴む。
単純だがジャンケン大会ほど熱いモノは無い。勝った人が獲物を奪える。 ここでは地位も名誉も関係ない。大切なのは最高の笑顔だ。 こういう時にオトナの殻を被るヤツは、ろくなもんじゃ無い。
ひたすらジャンケンに没頭し、獲物を得た時の喜びに浸る。
コドモのココロにすぐ戻れるので、この効果は大きい。 関根さんが勝った瞬間だ。スバルマガジンを手に入れ、気分は最高だった。
インプレッサは、数奇な運命を背負って産まれた。 妥協の産物だったはずのクルマが、奇蹟をもたらした。
初代インプレッサは、最後の最後までエンジン出力を高め続けた。 これはスバルにとって「不易」そのものだ。
クルマのコアである、エンジンとミッションを高め続けてこそ、スバルが世の中に存在する意義になる。
その他は「流行」に過ぎない。 初代インプレッサの性能は、ギリギリまで研ぎ澄まされた。それに「不易」を感じるからこそ愛好家が絶えないのだ。
最近のスバルはそれを忘れてしまった。
STIは必ず目覚める。
だが決して忘れてはならないことがある。
それは久世初代社長の魂だ。それはまず、STIはスバルのカタログに無いモノを引き出す。
DCCDを引っ張り出した時のように、まだ研究開発中の武器を、自らのカラダで試す。
次に絶対的な高出力を極める。最高出力に足枷があったり、最大トルクを更新出来ないようでは偽物に過ぎない。
そして軽量化を極め、特別のボディを用意する。
それこそが「S」だ。そういうクルマで無ければ、「飼う」意味がない。
本来ならばSTIの出すクルマに、試乗など必要無い。
秒速で売り切れてこそ、STIの名に恥じないクルマだ。
それが上手くいかないのは、伝説の残り香で飯を食っているからだ。
食事を終えたら、いよいよメインイベントの編隊走行だ。
毎年その時の先導車に、違うクルマを用意する。
一昨年は白いWRXだった。今年はオレンジに大役を担わせた。
参加者の中に、4ドアのレプリカも居た。
正直に言うと、速さの絶対値は、ナローボディのWRXが上だ。
そしてWRCというレースでは、戦うために作られたWRカーが最も速い。
この4ドアセダンやクーペは、リアルワールドで速い。リアルワールドでWRカーが役に立たない理由は、戦うための単なる道具で、家畜としての魂と機能を、全く備えていないからだ。
従って、役目の終わったWRカーは、屠畜された後の肉と同じだ。
22BはWRカーの栄光を一新に纏った、ホンモノのロードゴーイングカーだ。
だからWRカーを上回る存在だと言っても過言では無い。プロドライブのテクニカルディレクターも、本気で欲しがったはずだ。
デビッド ラップワースと、クリスチャン ロリオーは、「インプレッサWRC」の歴史から消すことの出来ない人物だ。
アチコチ渡り歩くロリオーに対して、ラップワースはプロドライブを代表する顔だ。
そのラップワースは22Bを手に入れた。WRカーでは、ロードゴーイングカーとしての機能を果たさないからだ。
22Bを持つ人でも、まだその価値を本当に理解していない。
性能と価値は必ずしも等しくない。22Bの価値を上回るスバルは、この世に無い。なぜか。
WRカーはキメラのようなものだ。プロドライブが自由自在に継ぎ足して、作り出した武器だ。
でも22Bには血が流れている。だがエンジンの能力は限界領域に足を踏み入れ、トランスミッションも許容トルクの寸前だった。22Bは何もかもがギリギリなのだ。
このクルマに関わる人達の情熱が実を結び、誕生に漕ぎ着けた。そして待ち焦がれたスバラー達が、その真実を理解したからこそ秒速で完売した。
中津川は宿場町だ。江戸時代には馬が行き交った。 オーナー自らの足で、ここを歩きさえすれば、
家畜の気持ちを理解出来る。
この坂を登り終えると、絶景が広がる。
この宿場を目指して、22Bは走る。
その時に、最も重要視していることは何か。それは、どのように奇麗な編隊を維持するかに尽きる。
コドモのように晴れ晴れと走りたいだろう。でも野放しでは「邪気」が更に頭をもたげる。
ただでさえ「オレのクルマは最高だ」と思っている。
勝手気ままな走りは、例え自制心があっても美しくない。
自制心を持ち「俯瞰」すると、全体像が見える。
その時に徹底的な編隊走行の重要性が解るはずだ。
高速道路から一般路まで連なるには、先頭から最後尾まで、全てのドライバーに俯瞰する能力が必要だ。
例えココロはコドモでも、全員が正しく並んで走るオトナのココロを併せ持つ。ここが肝要だろう。難しい事は他に無い。
ニュルブルクリンクのセクショントレーニングでは、5台の編隊を組み、リーダーをフォローする。 今年もその季節が来た。
グレーネヘレとは緑地獄を意味する。そこには魔物が住む。
運転が上手いだけでは、速く安全に走れない。俯瞰する能力を持たないと、ノルドシェライフェは楽しめない。
高速道路で22Bは目立つ。
並んだ周囲のクルマは素早く追い越してくれない。速度を落としても、
併走して抜いてくれない。
取材が入ると、
出来るだけ良い写真を撮らせたい。そう思うのも人情だ。
そのために、15台の動きを先導車がリードするのでは無く、阿吽の呼吸で1台1台動けるのが理想だ。
コドモの心を持ちながら、オトナのスキルを発揮する。
それがオトナの醍醐味だ。
コドモは俯瞰できない。
自分の置かれた立場や責任より、どうしても欲望が先に出る。 右下の青い丸が駐車場の場所だ。ここまで登ったメンバーは、俯瞰することの意味が何となくわかったはずだ。下に降りると、上から眺めた場所は以外に低い。
人生もそんなモノで、冷静になって俯瞰して、俯瞰して眺めた場所を下から見ると、その時は見えなかったモノが必ず見える。
このミーティングは、これからも一糸乱れぬ姿で全行程編隊走行を目指す。
各機長に登場してもらおう。
どの愛馬も最高の表情だ。
松下さんの執念には脱帽だ。WRカーを遂に蘇らせた。彼はもともと22Bのオーナーだったが、事情があって手放した。
手放すと淋しくて堪らなくなるのがWRXの困ったところだ。その理由が何か、英国人さえ懐かしむほどだ。冒頭の動画は笹子トンネルから生還したGC8だ。
あの湿ったエキゾーストノートと、抱かれるように走るクルマの動き。
これを思い出すと、居ても立ってもいられなくなる。
WRカーの「どんがら」にSシリーズからエンジンを流用した。インパネもGDBから移植した。
1台のために費やした情熱は凄い。これなら幸運を呼び込むだろう。
集中と、掛け持ちでは、幸運を呼び寄せるパワーが違う。終始一貫、一点集中が大切だ。関わった以上、今度は孫子の代まで大切にすることだ。
無事ツーリングが終わった。9年間も続けられたのは、
会を代表するお二人のおかげだ。
「もともと100歳を迎えるまで集まろう」と呼びかけたので、10年目も単なる通過点に過ぎない。
仲間の輪は毎年広がる。前田さんの奥さんもスバルが大好きで、レヴォーグのオーナーになった。 中津川のB級グルメで腹を満たし、
中津川の夜に繰り出した。新町通は静まりかえっていた。
ここは祝日に国旗を掲揚する。その習わしも子供の頃から続いているから、「不易」を表す場所だろう。
これに共感した「不易」の権化が、懐から何やら怪しいモノを取り出した。
スルスルと伸ばしたら、
なんと国旗が現れた。
携帯用の国旗を持つとは・・・・やはり恐るべきオトコだ。
二次会も妻がセッティングした。
この集まりを最も大切にしている者の一人だ。
乾杯した後は無礼講だ。山本編集長と入れ替わり、次の取材陣が現れた。
向かって左がモータージャーナリストの真鍋裕行さん、右が同じく井元貴幸さんだ。
取材先の神戸からここまで駆けつけてくれた。22Bの鼓動を感じてもらえたはずだ。
そして、恒例の「ミカン」が始まった。
「甕のしずく」が「ジャブジャブ」と消えていく。
浴びるように飲むからだ。寺田さんのエアギターも冴え渡る。
むさぼるように、「甕のしずく」に群がる22Bの亡者達よ、
きっと良い夢が見られるだろう。
宴の中で、静かに一人、夢の世界に旅だった。 九州からお出かけ戴き、ありがとうございました。
こうしてイベントは無事終わった。しかし仕事はまだまだ山積みだ。 これは御得意様に戴いたアンケートだ。この答えがあるから、イベントが大好きだ。夏休みのイベントから、あっという間に一ヶ月が過ぎ、秋の感謝ディの仕込みに入った。 シルバーウイークには、豊田市から中田さんもいらっしゃった。もと22Bオーナーも、青い祭には興味をそそられたようだ。息子さんの車検を承り、ありがとうございました。 神奈川県から稲村さんもいらっしゃった。愛機インプレッサの相談だった。
珍しいお土産をありがとうございました。
石川県から浮田さんがいらっしゃった。 美味しいお酒をありがとうございました。
また茨城から榎田さんがいらっしゃった。珍しいスイカを戴いた。 ありがとうございました。 いつもDEに参加して戴く、東京の小林さんにも、美味しいお土産を戴いた。
車検を承ったので、しっかり面倒見ます。あわせてDEのご予約も戴いた。
Cプランなら特訓の成果も活かせる。
社員からDEについて意見を集めた。それぞれ思うことを正直に述べてくれた。
まず大宮は愛車でレクチャーを受けたいヒトも居るはずだ、と述べた。次に梅田は販売した時にオプションで選んでもらえばどうか、と述べた。続いて吉村も試乗車を絡めずレクチャーそのものを前に出すべきだ、と述べた。すると、北原や山本や妻からは、レクチャーの手間やリスクを考えると、価格が安すぎると意見が出た。
杉本からは、興味が無い人には全く刺さらない企画だ、と正直で辛辣な意見が出た。こう言う意見でもハッキリ出せる環境は大切だ。
様々な協議を社内で進め、そのた結果をHPで案内しようと話がまとまった。
早速「愛車でレクチャー」をメニューに加えた。すると申し込みが続いた。
まず若尾さんに体験して戴き、率直な意見を戴いた。 また御待ちしています。 丁寧なアンケートをありがとうございました。
群馬で開かれたミーティングの帰りに、 Oさんも立ち寄って下さった。
高橋三雄さんもお元気で、大変喜ばしい。デザイナーの碇さんも参加されたそうで、直筆のサインが増えていた。
これらに元気をもらい、ドイツを駆け回る。
最近のドイツは、経済界でも国際的な立場でも情報が錯綜している。百聞は一見に如かず。
勉強して今後の仕事に役立てる。
それでは皆さん、行ってきます。
レポートを楽しみにして欲しい。人生には良い出会いがある。
ほんの数秒の接触が、思いもよらない知識の広がりを産み出す事もある。
9月21日の朝、交差点で声を掛けてくれたのは、竹谷賢二さんだった。
本当に邪念が無い。
インプレッサWRXを通じて、また人の輪が広がった。
このクルマも邪念を持たない。
中津スバルには、クルマを機械と思わない人々が常に集う。
この動画を見て、「邪念の無さ」を共有してみないか。
インプレッサの吐く息から、手足の動きまで感じるはずだ。
武者震いするようなWRX達が集まったせいで、
青いカラダから「火照り」が抜けなかった。
そこで思いっきり手足を伸ばすように、深夜のワインディングへ連れ出した。
「不易と流行」を思い出した。
いつまでも変わらずにあるべきモノと、時代に合わせて変わるモノがある。
「おはぎ」を例えてみよう。
邪気払いとして供える、お彼岸に欠かせない風物詩だ。
小豆の赤い色には魔除け効果がある。その小豆に、砂糖を加えると「あんこ」が出来る。
その昔、砂糖は高級な食材だった。
それを今とは違い餅米も高級だった。それで炊いたご飯に「あんこ」を付けて、ご先祖様に供える。
これは「不易」そのものだ。
中津川には物凄い「流行」がある。
小豆が原料の餡ではなく、栗きんとんの「そぼろ餡」を使う。
レシピは簡単そうで複雑だ。簡単に家で作れるお菓子では無い。
イングリーディアントは、栗と砂糖と塩と餅米と僅かな白餡だ。
「本日中にお召し上がり下さい」と但し書きがある。
その日限りの売り切りで、しかも全く日持ちがしない。
松島さんのSVXをリフレッシュした。作業が終わりオフ会の日に受け取りに来られたが、DEの最中でお目に掛かれなかった。
せっかく来て戴いたのに、申し訳ありませんでした。
SVXは抜群の状態を維持しているので、今後も安心してお使い戴ける。
松島さんから伊勢の名物を戴いた。
伊勢の赤福も日持ちしない。
これらは「不易」の代表だ。
22Bのオフ会で飛び回っている間に、仙台から長谷さんもいらっしゃった。お目に掛かることが出来ず残念でした。
このお菓子を見て、大宮が目を丸くした。
この二点が貼り付けてあった。
生ものなのだが、脱酸素剤を入れた小袋に仕分けられている。この「前段階」を開発した老舗らしい。
今では、栗きんとんも製法を工夫し脱酸素剤を入れることで、全国発送が可能になった。
淡いカスタードの香り。
不易と流行は、どちらも欠かせない商品開発の基本だろう。
日曜日の朝、展示場から一切のクルマが消えた。
22は排気量を示す。1998年に、僅か400台だけ生産された。
一年に一度だけ西は九州、東は関東平野から集まるのだ。だから話は尽きることが無い。しかし時間は限られている。
何事も最初が肝心で、まず落ち着いて全体を俯瞰できないと、簡単に「オトナの皮」を脱ぎ捨てられない。
まず代表の児玉さんからご挨拶を戴いた。なによりも無事に再会できたことを喜び合った。
挨拶に続いて、
この連中の心には、そろそろ邪気が躍り出ようとしていた。
どんなにエライ人でも、どんなに真面目な人でも、どんなに怖い人でも、どんなに痛い人でも、ここに座れば即座に同志だ。
その頃、展示場はこんな状態だった。
信号で止まるクルマは、一斉にこちらを凝視する。
金子さんの奥さんと、二人のお子さんは、オトナが集う場所より、こちらの方が心地良い。彼等は何度もこの会に参加しているので、父親がコドモに戻る瞬間より、沢山の青いクルマを見る方が楽しいのだ。
皆さんから沢山のお土産を戴いた。
それは軽自動車の今後だ。スバルもそろそろ日本の顧客に、本気でサービスしたら良いのでは無いか。
相変わらずスバルの軽に乗りたい人は多い。
着せ替え人形を作れるコペンを借りて、このアウタースキンを載せれば良い。
別に軽自動車の規格からはみ出しても良いじゃ無いか。4人乗れれば良いのだから。
ダイハツとバッティングしないし、200万円以上で売ることが出来る。大切なのは縦横比と、アイデンティティだけだ。
アイサイトも要らないし、高度な燃費技術も必要としない。
その頃、望桜荘では門外不出の秘話が繰り広げられていた。
単純だがジャンケン大会ほど熱いモノは無い。勝った人が獲物を奪える。
コドモのココロにすぐ戻れるので、この効果は大きい。
初代インプレッサは、最後の最後までエンジン出力を高め続けた。
クルマのコアである、エンジンとミッションを高め続けてこそ、スバルが世の中に存在する意義になる。
その他は「流行」に過ぎない。
最近のスバルはそれを忘れてしまった。
STIは必ず目覚める。
だが決して忘れてはならないことがある。
それは久世初代社長の魂だ。それはまず、STIはスバルのカタログに無いモノを引き出す。
DCCDを引っ張り出した時のように、まだ研究開発中の武器を、自らのカラダで試す。
次に絶対的な高出力を極める。最高出力に足枷があったり、最大トルクを更新出来ないようでは偽物に過ぎない。
そして軽量化を極め、特別のボディを用意する。
それこそが「S」だ。そういうクルマで無ければ、「飼う」意味がない。
本来ならばSTIの出すクルマに、試乗など必要無い。
秒速で売り切れてこそ、STIの名に恥じないクルマだ。
それが上手くいかないのは、伝説の残り香で飯を食っているからだ。
食事を終えたら、いよいよメインイベントの編隊走行だ。
毎年その時の先導車に、違うクルマを用意する。
一昨年は白いWRXだった。今年はオレンジに大役を担わせた。
そしてWRCというレースでは、戦うために作られたWRカーが最も速い。
この4ドアセダンやクーペは、リアルワールドで速い。リアルワールドでWRカーが役に立たない理由は、戦うための単なる道具で、家畜としての魂と機能を、全く備えていないからだ。
従って、役目の終わったWRカーは、屠畜された後の肉と同じだ。
22BはWRカーの栄光を一新に纏った、ホンモノのロードゴーイングカーだ。
だからWRカーを上回る存在だと言っても過言では無い。プロドライブのテクニカルディレクターも、本気で欲しがったはずだ。
デビッド ラップワースと、クリスチャン ロリオーは、「インプレッサWRC」の歴史から消すことの出来ない人物だ。
アチコチ渡り歩くロリオーに対して、ラップワースはプロドライブを代表する顔だ。
そのラップワースは22Bを手に入れた。WRカーでは、ロードゴーイングカーとしての機能を果たさないからだ。
22Bを持つ人でも、まだその価値を本当に理解していない。
性能と価値は必ずしも等しくない。22Bの価値を上回るスバルは、この世に無い。なぜか。
WRカーはキメラのようなものだ。プロドライブが自由自在に継ぎ足して、作り出した武器だ。
でも22Bには血が流れている。だがエンジンの能力は限界領域に足を踏み入れ、トランスミッションも許容トルクの寸前だった。22Bは何もかもがギリギリなのだ。
このクルマに関わる人達の情熱が実を結び、誕生に漕ぎ着けた。そして待ち焦がれたスバラー達が、その真実を理解したからこそ秒速で完売した。
中津川は宿場町だ。江戸時代には馬が行き交った。
家畜の気持ちを理解出来る。
この宿場を目指して、22Bは走る。
その時に、最も重要視していることは何か。それは、どのように奇麗な編隊を維持するかに尽きる。
コドモのように晴れ晴れと走りたいだろう。でも野放しでは「邪気」が更に頭をもたげる。
ただでさえ「オレのクルマは最高だ」と思っている。
勝手気ままな走りは、例え自制心があっても美しくない。
自制心を持ち「俯瞰」すると、全体像が見える。
その時に徹底的な編隊走行の重要性が解るはずだ。
高速道路から一般路まで連なるには、先頭から最後尾まで、全てのドライバーに俯瞰する能力が必要だ。
例えココロはコドモでも、全員が正しく並んで走るオトナのココロを併せ持つ。ここが肝要だろう。難しい事は他に無い。
ニュルブルクリンクのセクショントレーニングでは、5台の編隊を組み、リーダーをフォローする。
グレーネヘレとは緑地獄を意味する。そこには魔物が住む。
運転が上手いだけでは、速く安全に走れない。俯瞰する能力を持たないと、ノルドシェライフェは楽しめない。
高速道路で22Bは目立つ。
並んだ周囲のクルマは素早く追い越してくれない。速度を落としても、
併走して抜いてくれない。
取材が入ると、
出来るだけ良い写真を撮らせたい。そう思うのも人情だ。
そのために、15台の動きを先導車がリードするのでは無く、阿吽の呼吸で1台1台動けるのが理想だ。
コドモの心を持ちながら、オトナのスキルを発揮する。
それがオトナの醍醐味だ。
コドモは俯瞰できない。
自分の置かれた立場や責任より、どうしても欲望が先に出る。
このミーティングは、これからも一糸乱れぬ姿で全行程編隊走行を目指す。
手放すと淋しくて堪らなくなるのがWRXの困ったところだ。その理由が何か、英国人さえ懐かしむほどだ。冒頭の動画は笹子トンネルから生還したGC8だ。
あの湿ったエキゾーストノートと、抱かれるように走るクルマの動き。
これを思い出すと、居ても立ってもいられなくなる。
WRカーの「どんがら」にSシリーズからエンジンを流用した。インパネもGDBから移植した。
1台のために費やした情熱は凄い。これなら幸運を呼び込むだろう。
集中と、掛け持ちでは、幸運を呼び寄せるパワーが違う。終始一貫、一点集中が大切だ。関わった以上、今度は孫子の代まで大切にすることだ。
無事ツーリングが終わった。9年間も続けられたのは、
会を代表するお二人のおかげだ。
「もともと100歳を迎えるまで集まろう」と呼びかけたので、10年目も単なる通過点に過ぎない。
仲間の輪は毎年広がる。前田さんの奥さんもスバルが大好きで、レヴォーグのオーナーになった。
ここは祝日に国旗を掲揚する。その習わしも子供の頃から続いているから、「不易」を表す場所だろう。
スルスルと伸ばしたら、
携帯用の国旗を持つとは・・・・やはり恐るべきオトコだ。
二次会も妻がセッティングした。
向かって左がモータージャーナリストの真鍋裕行さん、右が同じく井元貴幸さんだ。
そして、恒例の「ミカン」が始まった。
こうしてイベントは無事終わった。しかし仕事はまだまだ山積みだ。
石川県から浮田さんがいらっしゃった。
また茨城から榎田さんがいらっしゃった。珍しいスイカを戴いた。
Cプランなら特訓の成果も活かせる。
社員からDEについて意見を集めた。それぞれ思うことを正直に述べてくれた。
まず大宮は愛車でレクチャーを受けたいヒトも居るはずだ、と述べた。次に梅田は販売した時にオプションで選んでもらえばどうか、と述べた。続いて吉村も試乗車を絡めずレクチャーそのものを前に出すべきだ、と述べた。すると、北原や山本や妻からは、レクチャーの手間やリスクを考えると、価格が安すぎると意見が出た。
杉本からは、興味が無い人には全く刺さらない企画だ、と正直で辛辣な意見が出た。こう言う意見でもハッキリ出せる環境は大切だ。
様々な協議を社内で進め、そのた結果をHPで案内しようと話がまとまった。
早速「愛車でレクチャー」をメニューに加えた。すると申し込みが続いた。
まず若尾さんに体験して戴き、率直な意見を戴いた。
群馬で開かれたミーティングの帰りに、
これらに元気をもらい、ドイツを駆け回る。
最近のドイツは、経済界でも国際的な立場でも情報が錯綜している。百聞は一見に如かず。
勉強して今後の仕事に役立てる。
それでは皆さん、行ってきます。