お客様感謝ディと、ショールーム開設50周年記念イベントを併催した。
それに先立ち、長野市へ出張したが、その事が実に大切な意味を持った。
それはいくつかの重要なキーワードに隠されていた。
これは41年前の1975年に伐採された橡の木だ。 この辺りではなじみが深く、
「橡の実せんべい」として食されている。
その実には豊かな澱粉質が含まれるが、
あくが強いため簡単に食用化できない。
けれども、
いざという時のために保存するには都合が良かった。
縄文時代の住居跡からも加工した形跡が見つかっている。
この橡の木は650年もの間、風雪に耐え抜いた。 ということは、
今から約700年前に年輪の中央が形成された。
その時代にさかのぼると、14世紀の初頭1316年頃にあたる。 日本は鎌倉時代の末期だ。
まさに乱世を象徴する時代で、
天皇家が二つに割れるという大騒動が起こった。
後嵯峨天皇が優柔不断なまま崩御したのが原因で、
結果的に鎌倉幕府を滅亡に導くに至った。
というのは、
極めてアグレッシブな天皇が誕生し、
武家に渡っていた政権を再び朝廷に引き戻したからだ。
戦う天皇こと後醍醐天皇は、
次に足利尊氏と袂を分かち、
南北朝時代へと雪崩れ込んだ。
こうして250年以上に渡り乱世は続き、
戦国時代へと化していった。
足利尊氏と対立した時に、
側近として活躍したのが楠木正成だ。
優れた分析力と、
先を見通す力が合ったが、
後醍醐天皇にはそれを活かす力が無かった。
戦略を後醍醐天皇に進言するも、
聞き入れられず、
負け戦と分かりながら戦いに挑んだ。
中学時代、
修学旅行で皇居へ行った時、
初めて楠木正成の銅像を見た。
それが今でも目に焼き付いて離れない。
馬に跨った姿をクルマと重ねるのは、
その頃からの癖かもしれない。
馬上の楠木正成から勇猛清廉なオーラを感じた。
今の時代に生まれたら、
S207を手足のように扱ったはずだ。
視野を世界に広げると、
同じ頃ヨーロッパではペストが大流行した。
いわゆる「黒死病」だ。
14世紀の世界的な流行では、
世界人口の4億5000万人が、
3億5000万人まで減るほどの死者を出した。
ペスト菌が全身に回り敗血症を起こすため、
皮膚が真っ黒になって死亡する。
これが黒死病と言われる所以だ。
人間界ではほぼ制圧されたが、
油断すると息を吹き返すだろう。
似たような事象が植物界で起きていた。
長野へ向かう途中で松枯れの被害を目の当たりにした。 道路の脇に突然茶色い林が現れ胸が痛む。
ヒトのペストのように、
松に病原線虫が取りつき道管を塞いでしまう。
激烈な松枯れは、
ヒトにとって強烈な伝染病と同じだ。
空を仰ぐと鳶が気持ちよさそうに飛んでいた。
ペストが流行した理由はいろいろあるが、
ネズミの繁殖もその一つだろう。
猛禽類などの天敵は重要だ。
自然界には様々なバランスがあり、
それは儚く脆いのだと深く考察した。
松枯れした山から下界を眺めた。
そこで長野盆地が一望できた。
正面に善光寺が微かに見える。
肥沃で安定した土地だ。
交易の要衝でもある。
ここは天下を取るために、
どうしても必要な土地だった。
冒頭の橡の木が生まれた200年後に、
ここで川中島の合戦が繰り広げられた。
この時、勇猛果敢な二人の武将が直接対決した。
名馬「放生」に跨った謙信の振りかざした刀を、
信玄は軍配で受け止めた。
上杉謙信も清廉な男だ。
領地拡大より義のために戦うことを優先した。
優秀な武将ほど名馬を必要とする。
この地で5度も戦いながら、
明確な勝敗は結局つかなかった。
武田信玄は敵味方の区別なく、
戦死した者たちを丁寧に葬った。
それに上杉謙信は感激し、
武田信玄が経済封鎖で困窮した際、
塩を送って助けた逸話が残った。
これが「敵に塩を送る」の語源だ。
上杉謙信もS207が似合う。
ステアリングを握らせたら、
いつまでも走り続けるだろう。
「自動車家畜論」が大好きな人たちは、
きっと日本中のあちこちに居るだろう。
そして中津スバルに集まった。
多くの人から「50周年おめでとうございます」と、
ご挨拶を頂いた。
また様々なお土産を頂いた。
改めて深く御礼申し上げます。
埼玉から松井さんが車検で来場された。
商談中で目を離した隙に帰られてしまった。
申し訳ありませんでした。
お土産をたくさん頂戴した。
塩味が程よい洋風「千寿せんべい」だ。
残りの二つも楽しみだ。
それぞれ味が異なる。
大沼さんからもお土産を頂いた。
一緒に写っているのは、
史上最年少の新星発見者だ。
まだ11歳だという。
末恐ろしい少女だ。
大沼さん、
ツボを押さえた逸品です。
社員にも地元で丁寧に作られた逸品をお持ちくださった。
セリーヌ洋菓子店のゼリーだ。
ごった返す中、
ゆっくりお話もできず申し訳ありませんでした。
川崎の栗原さんと可児の松山さんがいらっしゃった。
栗原さんから、
「50周年おめでとうございます」と、
どっしりとした袋を手渡された。
中にはマリアツェルの洋菓子が入っていた。
こちらのゼリーも凄い。
神奈川ではゼリー戦争が勃発中と見た。
そして極めつけは、
オレンジピールだ。
作れる量が限られているだけのことはある。
ちょっとレベルの違う美味しさだ。
量産されるオレンジピールを普通のWRXだとすると、
こちらは「S」の風格を持つ。
京都の福島さんからも、
びっくりするほどおいしいお土産を頂戴した。
麦代餅には、
半夏生という言葉が潜んでいた。
ハンゲショウはカタシログサの咲く頃も意味する。
七月二日を指し、
昔はこのお菓子を物々交換に使ったそうだ。
桜餅も只者ではない。
この味はS207そのものだ。
埼玉から小暮さんがいらっしゃった。
陣中見舞いをありがとうございました。
豊田から木村さんが見学にいらっしゃった。
松平まんじゅうをありがとうございました。
浜松の佐々木さんもいらっしゃった。
このミニカーを買いそびれた。
22Bの文字を見ただけで嬉しかった。
伊勢から中口さんがいらっしゃった。
これも京都の麦代餅と甲乙つけがたい。
しかもへんば餅の、
何とも言えない甘くて弾力のある食感と、
二軒茶屋餅のふんわりした食感が、
例えようのないハーモニーを奏でる。
社員の誰もが酔いしれた。
しかも珍しい干物まで頂いた。
かつら干しと書いてある。
これで一杯飲むのが楽しみだ。
後藤さんもお祝いに駆けつけてくださった。
社員へ心配りを頂き、
妻と娘にも好物を賜った。
朝見たら綺麗に半分に齧られていた。
そして晩酌の友も頂いた。
最近、脚を引きずって歩くのでカルシウムが欠かせない。
フォレスターに興味を持たれたそうだ。
ベストカーの記事も熟読されたそうで、
大変うれしかった。
えーえる7D さんも約束通りいらっしゃった。
実においしい最中を頂戴した。
一宮の永島さんも出張先から駆けつけてくださった。
東北のお土産をありがとうございました。
とても香ばしく美味でした。
名古屋の牛尾さんも息子さんといらっしゃった。
栄養剤を陣中見舞いに頂いた。
大垣市から柴田さんが車検の予約を兼ねて来店された。
本場の水まんじゅうをありがとうございました。
十分な説明が足りないが、
機会を見て取り上げたい。
S207も順調に慣らしが終わったが、
長野へ出張した際に、
一つだけ大失敗した。
ごめんねと呟きながら脚を洗ってあげた。
流石に純正装備するだけあり、
このホイールの強度は抜群だ。
この建物にある駐車場から出るときは、
十分な注意が必要だ。
なぜなら「罠」仕掛けられている。
というのも開口部の中央に、
歩道と車道を区切る縁石があり、
左右の車に気を取られると存在に気が付かない。
右から教習車が来たので凝視しながら前に出た瞬間、
ガツンと強烈なショックを受けた。
やっちまった!と覚悟した。
速度は大したことなかったが、
大きなダメージを予感した。
ところが、
右のホイールにもタイヤにも何の損傷もなかった。
低い位置にスポイラーがあるけれど、
まるで無傷だ。
サイドシルに衝撃の痕跡があった。
この時はサイドスポイラーが変形して盛り上がったと思った。
左側と比べたらそう思うのも当然だ。
後ろ側から右側を見て、
同じように左側を見た。
右の後端が少し浮き上がっている。
板金が必要だと思って、
恥を忍んで北原課長に修理を依頼した。
修理する気配がないので、
いつ治るか確認したら、
「一発で直りました」という。
なんと変形することは全く無くて、
ポンと押しこむだけだったという。
先日、英国にあるマン島で、
WRX STIが自らの持つ記録を塗り替えた。
島内の一般路を全速力で駆け抜ける姿に驚いた。
このボディの強靭さが、
記録更新に一役買ったことは間違いない。
こうした経験を通じて、
555万円という価格はSTIのサービスプライスだと改めて思った。
ダンロップもこのクルマのために精魂込めてタイヤを開発した。
様々な道で試して、
これが並みのタイヤでは無いと良く解った。
確かにダンロップも素晴らしいが、
次にコンチネンタルタイヤとのコンビネーションを試したい。
S207でスポーツコンタクト6を試す日が待ち遠しい。
感謝ディに飯尾さんがいらっしゃった。
そして予約されていたコンチネンタルタイヤを装着された。
コンチスポーツコンタクト5を選んで頂いた。
実は他のタイヤが候補に挙がっていたようだが、
あえてこれをお勧めした。
もうこのタイヤの良さは、
このブログでも幾度となく報告した。
実際に使った彼の笑顔が何を示すのか、
ぜひ想像してほしい。
さあ美味しいお菓子と、
美味しいWRXを、
いつまでも追い続けようじゃないか。
それに先立ち、長野市へ出張したが、その事が実に大切な意味を持った。
それはいくつかの重要なキーワードに隠されていた。
これは41年前の1975年に伐採された橡の木だ。
「橡の実せんべい」として食されている。
その実には豊かな澱粉質が含まれるが、
あくが強いため簡単に食用化できない。
けれども、
いざという時のために保存するには都合が良かった。
縄文時代の住居跡からも加工した形跡が見つかっている。
この橡の木は650年もの間、風雪に耐え抜いた。
今から約700年前に年輪の中央が形成された。
その時代にさかのぼると、14世紀の初頭1316年頃にあたる。
まさに乱世を象徴する時代で、
天皇家が二つに割れるという大騒動が起こった。
後嵯峨天皇が優柔不断なまま崩御したのが原因で、
結果的に鎌倉幕府を滅亡に導くに至った。
というのは、
極めてアグレッシブな天皇が誕生し、
武家に渡っていた政権を再び朝廷に引き戻したからだ。
戦う天皇こと後醍醐天皇は、
次に足利尊氏と袂を分かち、
南北朝時代へと雪崩れ込んだ。
こうして250年以上に渡り乱世は続き、
戦国時代へと化していった。
足利尊氏と対立した時に、
側近として活躍したのが楠木正成だ。
優れた分析力と、
先を見通す力が合ったが、
後醍醐天皇にはそれを活かす力が無かった。
戦略を後醍醐天皇に進言するも、
聞き入れられず、
負け戦と分かりながら戦いに挑んだ。
中学時代、
修学旅行で皇居へ行った時、
初めて楠木正成の銅像を見た。
それが今でも目に焼き付いて離れない。
馬に跨った姿をクルマと重ねるのは、
その頃からの癖かもしれない。
馬上の楠木正成から勇猛清廉なオーラを感じた。
今の時代に生まれたら、
S207を手足のように扱ったはずだ。
視野を世界に広げると、
同じ頃ヨーロッパではペストが大流行した。
いわゆる「黒死病」だ。
14世紀の世界的な流行では、
世界人口の4億5000万人が、
3億5000万人まで減るほどの死者を出した。
ペスト菌が全身に回り敗血症を起こすため、
皮膚が真っ黒になって死亡する。
これが黒死病と言われる所以だ。
人間界ではほぼ制圧されたが、
油断すると息を吹き返すだろう。
似たような事象が植物界で起きていた。
長野へ向かう途中で松枯れの被害を目の当たりにした。
ヒトのペストのように、
松に病原線虫が取りつき道管を塞いでしまう。
激烈な松枯れは、
ヒトにとって強烈な伝染病と同じだ。
空を仰ぐと鳶が気持ちよさそうに飛んでいた。
ペストが流行した理由はいろいろあるが、
ネズミの繁殖もその一つだろう。
猛禽類などの天敵は重要だ。
自然界には様々なバランスがあり、
それは儚く脆いのだと深く考察した。
松枯れした山から下界を眺めた。
正面に善光寺が微かに見える。
肥沃で安定した土地だ。
交易の要衝でもある。
ここは天下を取るために、
どうしても必要な土地だった。
冒頭の橡の木が生まれた200年後に、
名馬「放生」に跨った謙信の振りかざした刀を、
信玄は軍配で受け止めた。
領地拡大より義のために戦うことを優先した。
優秀な武将ほど名馬を必要とする。
この地で5度も戦いながら、
明確な勝敗は結局つかなかった。
武田信玄は敵味方の区別なく、
戦死した者たちを丁寧に葬った。
それに上杉謙信は感激し、
武田信玄が経済封鎖で困窮した際、
塩を送って助けた逸話が残った。
これが「敵に塩を送る」の語源だ。
上杉謙信もS207が似合う。
ステアリングを握らせたら、
いつまでも走り続けるだろう。
「自動車家畜論」が大好きな人たちは、
きっと日本中のあちこちに居るだろう。
そして中津スバルに集まった。
ご挨拶を頂いた。
また様々なお土産を頂いた。
改めて深く御礼申し上げます。
商談中で目を離した隙に帰られてしまった。
申し訳ありませんでした。
お土産をたくさん頂戴した。
それぞれ味が異なる。
一緒に写っているのは、
史上最年少の新星発見者だ。
まだ11歳だという。
末恐ろしい少女だ。
ツボを押さえた逸品です。
ゆっくりお話もできず申し訳ありませんでした。
川崎の栗原さんと可児の松山さんがいらっしゃった。
「50周年おめでとうございます」と、
どっしりとした袋を手渡された。
神奈川ではゼリー戦争が勃発中と見た。
オレンジピールだ。
こちらは「S」の風格を持つ。
びっくりするほどおいしいお土産を頂戴した。
半夏生という言葉が潜んでいた。
ハンゲショウはカタシログサの咲く頃も意味する。
七月二日を指し、
昔はこのお菓子を物々交換に使ったそうだ。
22Bの文字を見ただけで嬉しかった。
これも京都の麦代餅と甲乙つけがたい。
何とも言えない甘くて弾力のある食感と、
かつら干しと書いてある。
これで一杯飲むのが楽しみだ。
最近、脚を引きずって歩くのでカルシウムが欠かせない。
フォレスターに興味を持たれたそうだ。
大変うれしかった。
えーえる7D さんも約束通りいらっしゃった。
実においしい最中を頂戴した。
十分な説明が足りないが、
機会を見て取り上げたい。
S207も順調に慣らしが終わったが、
長野へ出張した際に、
一つだけ大失敗した。
流石に純正装備するだけあり、
このホイールの強度は抜群だ。
十分な注意が必要だ。
なぜなら「罠」仕掛けられている。
というのも開口部の中央に、
歩道と車道を区切る縁石があり、
左右の車に気を取られると存在に気が付かない。
右から教習車が来たので凝視しながら前に出た瞬間、
ガツンと強烈なショックを受けた。
やっちまった!と覚悟した。
速度は大したことなかったが、
大きなダメージを予感した。
ところが、
右のホイールにもタイヤにも何の損傷もなかった。
まるで無傷だ。
この時はサイドスポイラーが変形して盛り上がったと思った。
板金が必要だと思って、
恥を忍んで北原課長に修理を依頼した。
修理する気配がないので、
いつ治るか確認したら、
「一発で直りました」という。
なんと変形することは全く無くて、
ポンと押しこむだけだったという。
先日、英国にあるマン島で、
WRX STIが自らの持つ記録を塗り替えた。
島内の一般路を全速力で駆け抜ける姿に驚いた。
このボディの強靭さが、
記録更新に一役買ったことは間違いない。
こうした経験を通じて、
555万円という価格はSTIのサービスプライスだと改めて思った。
ダンロップもこのクルマのために精魂込めてタイヤを開発した。
様々な道で試して、
これが並みのタイヤでは無いと良く解った。
確かにダンロップも素晴らしいが、
次にコンチネンタルタイヤとのコンビネーションを試したい。
S207でスポーツコンタクト6を試す日が待ち遠しい。
感謝ディに飯尾さんがいらっしゃった。
そして予約されていたコンチネンタルタイヤを装着された。
コンチスポーツコンタクト5を選んで頂いた。
実は他のタイヤが候補に挙がっていたようだが、
あえてこれをお勧めした。
このブログでも幾度となく報告した。
実際に使った彼の笑顔が何を示すのか、
ぜひ想像してほしい。
美味しいWRXを、
いつまでも追い続けようじゃないか。