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Channel: 中津スバルの濃いスバリストに贈る情報
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サブロクの誕生日を祝う

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今年は暮れにかけて60周年の特装車がリリースされる。
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SUBARUの60周年より、
実はSTIの30周年の方が価値が高いと思うが、
周年事業は商魂逞しく悪い事ではない。
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60周年になると言うが、
今日の今日までさほど気にも留めて無かった。


一昨年はボクサー50周年だの、
割とコマ切れに周年を祝うが、
中島創立100周年は実に冷たい仕打ちだった。


節目は思わぬ出現をする。
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体の節目も「厄年」と言われるが、
100周年を軽んじた「厄」が、
誰にも想像できない形で現れた。


注目される企業になった事は良いが、
すっぱ抜かれることも多くなった。


SUBARUがプレスリリースを出す前に、
ことごとくニュースがすっぱ抜かれる。


そのため事後対応に目を奪われ、
大事な事が記憶から逸れる。


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代々スバルの社長が無傷で職を全うする事が出来ないのも、
何か無性に縁を感じる。


野生の本能を持つのか、
技術枯渇の遠因を作りながら、
さっさと船から逃げている人間もいる。


そう言う点では、
現在残っている役員は責任感が強い。
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しかし社長人事を外からすっぱ抜かれ、
慌ただしく記者会見せざるを得ない現在の状況に、
今後の航海の厳しさを感じざるを得ない。


救いは米国の好景気だろう。


押しも押されぬブランドに成長し、
日本の3倍の人口を有する。


しかも人口減少を懸念される日本とは異なり、
色々言われながらも米国は成長が続く。


儲けが出る所に注力することは当然だ。


その米国で積み重ねた実績を手土産に、
新しい社長が既定路線通りに誕生した。


全く同い年の、
しかも若い時代をお互いに良く知る人物が社長に昇進した。


中村さん、
本当におめでとうございます。


心からお祝い申し上げます。


今日も洗車から始まり、
第一展示場のクルマをピカピカにした。


XVに荷物を載せ替えるため、
クルマの中にある荷物を整理した。
すると忘れていた紙袋が籠の中から出てきた。
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何だろうと袋を開けてドキッとした。
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先日見つけたジャンク品のサブロクだった。
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珍しかったので手に取ると、
エンジンフードが紛失していた。
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手の込んだ作りだったので、
フードが無くても絵になる。
壊れかけたクルマを整備しているようで、
何となくグッとくる姿だ。


もっともスバル好き以外には、
こんな玩具はゴミそのものだろう。


と思った次の瞬間「ドキン」と心臓が高鳴った。
今日はサブロクの誕生日だった。


次の社長になる中村さんと、
実は全く同世代だ。


昭和57年の入社だから、
初めてSUBARU販売店大会に参加した年と重なる。


柳沢純子が軽トラ娘でスバルのマスコットガールになった年でもある。


その時の社長は佐々木貞道氏。
飄々とした日産からの天下りだった。


そしてその後をたすき掛け人事で受けたのが、
興銀出身の田島敏弘氏だ。


日産から天下りの佐々木氏に比べ、
田島氏は何から何までエネルギッシュに感じた。


中から見る人と、
外から見る人では当然見え方が違う。


もし田島さんが居なければ、
SOAの発展は無いし、
世界を制覇するインプレッサも生まれなかった。


その田島さんを見て「孤独だな」と感じた時がある。
今から30年前のサブロク誕生日の事だ。


国民車と言って良いサブロクが30歳になると、
当時のパイクカーのブームもあり、
ダサいイメージからお洒落なイメージに、
遅ればせながら蛻変を始めていた。


テレビのニュースにサブロクが取り上げられた時、
インタビューの機会があり、
そこで「再び現在の技術で復活させたい」旨の発言をした。


社長がやると言ったら、
出来ない理由を考えるより、
やれる方法を考えるべきだが・・・・


残念ながらそんな社風は燻蒸していない。


社長は社内で育たない。
そんな事が当たり前の時代だった。


なので権力闘争もすさまじい。


赤字に転落した途端に、
手のひらを反す社員が続出した。


平気で「バンカーに水商売(クルマ産業)が務まるはずが無い」と放言するほどだ。


結局サブロクは世の中に再び蘇る事はなかった。


R1はオマージュだったが、
残念ながらリッターカーを作れなくて失敗した。


それが30年経ち、
遂にプロパーでありながら、
国内営業でどぶ板を渡り、
マーケティング部長として商品に触れた男が社長になる。


その上グローバルも経験し、
欧州の隷属的な関係を熟知した上で、
米国における発展性も底角に把握している。


困難な時期だからこそ、
手腕を振るうことが出来るだろう。
期待している。


そんな事を考えて一日があっという間に過ぎた。
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安曇野から斎藤さんが、
プチリフレッシュ車検を終えたB4を迎えに来られた。


万全の整備を施しました。
次にお目に掛かれる日を楽しみにしています。


BLEの6速は、
ナイフでバターを切る感触を目指した。


それに対して、
「パチン」とミッションを叩きこむのがGRBだろう。
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洗車しながらGRBのロバスト性を振り返った。
デビュー当時はGTに成り下がったのかと危惧したが、
10万キロを超えて真価を出す面白いクルマだと、
10年経過してようやく解った。


だから人気が尽きないのだろう。


そのGRBとR1をこよなく愛するお客様も来訪された。
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ロイヤル車検からリフレッシュ車検にアップグレードし、
更にSTIのパフォーマンスパーツで足回りを整える。


面白いクルマに仕立て直し、
更に10万キロを目指して戴こう。
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ステキな袋だ。
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中には同じデザインでイメージされた箱があった。
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ソット包みを解くと、
中にあの逸品が詰まっていた。
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美味しそうなお土産をありがとうございました。
皆で美味しくいただきます。
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袋の上からモチモチふわふわ感を楽しんだ。


こんな美味しいクルマにしてお返しします。


どうぞお楽しみに。





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