一週間振りに東京から秋田さんがいらっしゃった。車検を終えたレガシィを迎えに来られた。 封をしないお菓子の醍醐味は、口に含めばすぐわかる。
繰り返し味わううちに、
箱の装丁や紙袋を見ただけで、
即座に脳裏に味が浮かぶ。
日持ちしないお菓子、
特に和菓子の味は、
日本人にぴったりだ。
何気ないようで手の込んだお菓子だ。
特に白あんの最中は、
滅多に食べる機会も無く珍しい。
娘にどちらが良いか聞くと、
「私は黒」と言った後で、
半分こしようかと言うので乗った!
緑茶と抜群に相性が良い。
まさに自信に満ちた口上だ。
秋田さん、
いつも本当に有難うございます。
お見送りできず申し訳ありませんでした。
かわら版の効果もあり、
忙しい土曜日となった。
一夜明けて環境整備に取り組んだ。
妻はブルーベリーの剪定に夢中だ。
二宮さんの気持ちで株に向かっている。
この株も他に比べて葉の落ち方が早い。
原因はミノムシだろう。
こんなに見事な擬態では、
流石に鶺鴒も見分けられないようだ。
指を指している少し上に上下直角の枝がある。
その下側から45度で左に飛び出ているのがミノムシだ。
その左上の芽と比べて見分けがつかない。
見事な擬態だ。
結構な量が取れた様だ。
望桜荘の石敷きで現れた土砂を、
畑に移動して篩に掛けた。
小石は雨ざらしにして分別に備え、
土を奥の方にまとめた。
よい土は色々と役に立つ。
土止めをして雨に晒す。
斜面には竜舌蘭が一気に増えた。
向こう側に注目してほしい。
剪定した枝を一旦積み上げて乾燥させている。
まだグミが瑞々しいままだ。
ここは焚き火台になっている。
次の写真は6年前の同じ頃、
同じ場所で下から撮影した。
グミの樹のグの字も無いのが良く解る。
焚き火はゴミを焼却する事ではない。
火をコントロールして、
樹木を灰に戻す。
焚き火はロマンだ。
知恵もいるし正しい道具も必要だ。
ブルーベリーには毒なので、
一切灰を持ち込まないよう気を付ける。
きれいに雑草をむしって、
お礼肥えも与えた。
良く見ないと解らないが、
雨に現れ石が露出している。
それを一輪車で拾い集め、
土の表面に潤いを出す。
一周回るのに約10分ほどだ。
環境改善を終える時間が近づいた。
一輪車に集めた石を空いたスペースに押し込む。
結構な量だ。
このくぼみに入れて、
雨水に晒すと分別しやすくなる。
大きく砕石と丸く研がれた自然石と花崗岩に分ける。
それらをまた活用して環境を改善する。
6年経つと花が開く。
もう六年もたったのかと言うのが正直な気持ちだ。
盛りを過ぎたと思ったが、
剪定後のアキグミはまだまだ絶頂だ。
日当たりが良いせいか、
ますます甘くて濃い味になった。
渋味もあるが美味しいので、
食べ過ぎてしまった。
ちょっとお腹に堪えたので、
しばらく食べるのを自重する。
その6年前の望桜荘の庭を記録した画像があった。
2011年11月2日に撮影した様子と、
本日11月12日の様子を比べて欲しい。
樹木の生長が良く解る。
その時から石畳が生まれ始めた。
2011年11月11日にここまで伸びて、
11月23日にはすべて完成していた。
富山から視察があったのでよく覚えている。
高岡市で軽自動車専門店を営む、
古城モータースさんが訪れた。
その時に比べると、
雨に晒された石の味が分かるはずだ。
文化は蓄積する「もの」だ。
手っ取り早くやるのも良いが、
蓄積させないと本当の価値が生まれない。
成長著しい企業に向かって、
偉そうに能書きを垂れたが、
6年後もお互いに頑張れていることが素晴らしい。
軽自動車生産を撤退しても売ることはできる。
それ以上に重要な道を究める方法があると信じていた。
その頃の愛機はtSだった。
カーボンルーフが取りたくて、
階段の上から撮影した。
前庭の変化も一目瞭然だ。
今日の様子を見ると、
自然の力の面白さを実感できる。
カーボンルーフを出した時に、
何故「Sシリーズ」にしないのかと反発した。
思い起こせば、
その時は土が痩せてしまっていた。
クルマは開発できても、
熟成させる土壌が無かった。
記念すべきカーボンルーフなので、
即座に注文したが、
この時は売れ残ってしまった。
誰もが「tS」を本物だと認めていなかった。
しばらく展示した後、
慣らしを兼ねて向かった先は金毘羅山だ。
四国に行った理由は、
頑張っているディラーを視察するためだった。
当時の東四国スバルには、
代表取締役として本社から緑川さんが赴任していた。
軽自動車が販売の大半を占める四国や九州では、
スバルの方向転換で販売に影響が出た頃だ。
実情がどうなのか、
具体的な視察が目的だった。
本社ショールームを建立する、
重要なミッションの真っただ中だった。
買収した土地で建設工事が始まっていた。
これらの種まきが後に香川の環境を大きく変えた。
tSはサスにテンションを掛け、
気持ち良く走るクルマだった。
エンジンフィールも良く、
なぜSに出来ないのか不思議で仕方が無かった。
戦略の方向性を間違うと、
修正するのに多大な時間を要する。
手っ取り早い仕事を目指したわけでは無いのだろうが、
カーボンルーフにふさわしいエンジンが欲しいと思った。
それはハンドクラフトだ。
もしSTIがハンドクラフトのエンジンを供給できれば、
本物の「S」にたどり着ける。
今のバランスドエンジンは、
ハンドクラフトではない。
越えなければならない壁がもう一つある。
今日は最新の「S」の締め切り日だ。
STIの予想通り、
抽選申込数は2000件を超えた。
エクステイリアのディティールから、
かなりの本気度が漂ったからだろう。
カーボンルーフの接着方法も全く異なり、
ボディダンパーの働きをしている
スバルの河内デザイナーの拘りが随所から感じられた。
フォグランプを廃止したっ効果が、
彼のデザインでより際立った。
国内では「S」と言う裃を着るが、
スバル本体が関わるだけあり、
米国ではカーボンルーフ装着車がRAとして発売される。
アメリカ人のおかげで、
カーボンルーフが蘇ったのかもしれないと、
この様子を見て感じた。
しかし6年の歳月を経て、
国内のSTIに対するイメージは予想以上に膨らんだ。
STIに800万円を目指させるべきだと進言した時、
鼻であしらわれたと言ったけれど、
今なら鼻であしらわれないはずだ。
SUBARUは昔から東高西低と言われる販売体質を持つ。
東四国SUBARUなどの西に属する地域で、
SUBARU車にプレミアム性を求める人は珍しかった。
ところが社長の改善意欲が高いと、
徐々に華が開き始め環境が一気に変わる。
四国や南九州のS208の応募数は、
青森や岩手は勿論、
新潟や山梨も上回る。
SUBARUが口出しするより、
STIに好きな事をやらせ、
いよいよ次はブレイクスルーと行こうじゃないか。
舐められる金額ではロクなクルマはできない。
22Bは覚悟を決めて500万円の壁を破った。
だからレジェンドになった。
2013年のモーターショーで、
武藤さんに800万のクルマを目指せと言った時、
「冗談言うんじゃないよ」と心の声が聞こえた。
だから今はそんな事を言うつもりはない。
そんな金額ではロクなクルマにならないから、
ぜんぜん物足らない。
次は1000万円を越える。
気合いを入れて待とうじゃないか。
機は熟した!
平川さん、
道を究めてやりましょう。
繰り返し味わううちに、
即座に脳裏に味が浮かぶ。
特に和菓子の味は、
日本人にぴったりだ。
特に白あんの最中は、
滅多に食べる機会も無く珍しい。
「私は黒」と言った後で、
半分こしようかと言うので乗った!
まさに自信に満ちた口上だ。
いつも本当に有難うございます。
お見送りできず申し訳ありませんでした。
忙しい土曜日となった。
一夜明けて環境整備に取り組んだ。
二宮さんの気持ちで株に向かっている。
原因はミノムシだろう。
流石に鶺鴒も見分けられないようだ。
指を指している少し上に上下直角の枝がある。
その下側から45度で左に飛び出ているのがミノムシだ。
その左上の芽と比べて見分けがつかない。
見事な擬態だ。
望桜荘の石敷きで現れた土砂を、
畑に移動して篩に掛けた。
土を奥の方にまとめた。
土止めをして雨に晒す。
向こう側に注目してほしい。
まだグミが瑞々しいままだ。
ここは焚き火台になっている。
同じ場所で下から撮影した。
焚き火はゴミを焼却する事ではない。
樹木を灰に戻す。
焚き火はロマンだ。
知恵もいるし正しい道具も必要だ。
ブルーベリーには毒なので、
一切灰を持ち込まないよう気を付ける。
きれいに雑草をむしって、
お礼肥えも与えた。
良く見ないと解らないが、
それを一輪車で拾い集め、
土の表面に潤いを出す。
環境改善を終える時間が近づいた。
一輪車に集めた石を空いたスペースに押し込む。
結構な量だ。
雨水に晒すと分別しやすくなる。
6年経つと花が開く。
もう六年もたったのかと言うのが正直な気持ちだ。
盛りを過ぎたと思ったが、
日当たりが良いせいか、
ますます甘くて濃い味になった。
渋味もあるが美味しいので、
食べ過ぎてしまった。
しばらく食べるのを自重する。
その6年前の望桜荘の庭を記録した画像があった。
本日11月12日の様子を比べて欲しい。
その時から石畳が生まれ始めた。
2011年11月11日にここまで伸びて、
高岡市で軽自動車専門店を営む、
古城モータースさんが訪れた。
その時に比べると、
文化は蓄積する「もの」だ。
手っ取り早くやるのも良いが、
蓄積させないと本当の価値が生まれない。
偉そうに能書きを垂れたが、
6年後もお互いに頑張れていることが素晴らしい。
軽自動車生産を撤退しても売ることはできる。
それ以上に重要な道を究める方法があると信じていた。
その頃の愛機はtSだった。
カーボンルーフが取りたくて、
階段の上から撮影した。
今日の様子を見ると、
カーボンルーフを出した時に、
何故「Sシリーズ」にしないのかと反発した。
思い起こせば、
その時は土が痩せてしまっていた。
クルマは開発できても、
熟成させる土壌が無かった。
即座に注文したが、
この時は売れ残ってしまった。
誰もが「tS」を本物だと認めていなかった。
しばらく展示した後、
慣らしを兼ねて向かった先は金毘羅山だ。
頑張っているディラーを視察するためだった。
当時の東四国スバルには、
代表取締役として本社から緑川さんが赴任していた。
スバルの方向転換で販売に影響が出た頃だ。
具体的な視察が目的だった。
本社ショールームを建立する、
重要なミッションの真っただ中だった。
これらの種まきが後に香川の環境を大きく変えた。
tSはサスにテンションを掛け、
気持ち良く走るクルマだった。
なぜSに出来ないのか不思議で仕方が無かった。
戦略の方向性を間違うと、
修正するのに多大な時間を要する。
カーボンルーフにふさわしいエンジンが欲しいと思った。
それはハンドクラフトだ。
もしSTIがハンドクラフトのエンジンを供給できれば、
本物の「S」にたどり着ける。
今のバランスドエンジンは、
ハンドクラフトではない。
越えなければならない壁がもう一つある。
STIの予想通り、
抽選申込数は2000件を超えた。
エクステイリアのディティールから、
かなりの本気度が漂ったからだろう。
カーボンルーフの接着方法も全く異なり、
ボディダンパーの働きをしている
フォグランプを廃止したっ効果が、
彼のデザインでより際立った。
国内では「S」と言う裃を着るが、
スバル本体が関わるだけあり、
米国ではカーボンルーフ装着車がRAとして発売される。
カーボンルーフが蘇ったのかもしれないと、
この様子を見て感じた。
しかし6年の歳月を経て、
国内のSTIに対するイメージは予想以上に膨らんだ。
STIに800万円を目指させるべきだと進言した時、
鼻であしらわれたと言ったけれど、
今なら鼻であしらわれないはずだ。
SUBARUは昔から東高西低と言われる販売体質を持つ。
東四国SUBARUなどの西に属する地域で、
SUBARU車にプレミアム性を求める人は珍しかった。
ところが社長の改善意欲が高いと、
徐々に華が開き始め環境が一気に変わる。
四国や南九州のS208の応募数は、
青森や岩手は勿論、
新潟や山梨も上回る。
STIに好きな事をやらせ、
いよいよ次はブレイクスルーと行こうじゃないか。
舐められる金額ではロクなクルマはできない。
22Bは覚悟を決めて500万円の壁を破った。
だからレジェンドになった。
2013年のモーターショーで、
武藤さんに800万のクルマを目指せと言った時、
「冗談言うんじゃないよ」と心の声が聞こえた。
だから今はそんな事を言うつもりはない。
そんな金額ではロクなクルマにならないから、
ぜんぜん物足らない。
次は1000万円を越える。
気合いを入れて待とうじゃないか。
機は熟した!
平川さん、
道を究めてやりましょう。